陰の労苦に感謝! 22年12月07日


1982年7月、全国統監部長会に出席した池田先生。「このように陰の陰で広布を支えてくださる方々を、いまこそ私は守り、宣揚しなければならない」と語った(東京・信濃町で)

ドラマは「今ここ」から
人間革命の舞台は、どこか遠くにあるのではない。「今ここ」にある。

そのドラマは、いつか始まるのではない。眼前の課題に、勇んで祈り、立ち向かう、この一瞬から幕を開けるのだ。

真剣勝負の戦いの中にこそ、人間革命がある。

師走を迎え、寒さは厳しくなり、忙しさも増す。その中で、地域のため、社会のため、未来のため、懸命に奔走されゆく我が宝友に、誇り高き人間革命の勝利劇あれ! と、私は祈る日々である。
(『随筆 民衆凱歌の大行進』、243ページ)

心を変える一言の御礼
陰で働いてくれている人を、当たり前のように思っては絶対にならない。

また、未入会のご家族等への配慮を忘れてはならない。活躍している友の陰には、必ず、その人を支えている人がいる。

一言の御礼が、相手の心を変える場合もある。幹部は祈り、よく考えて、「御礼を言い忘れている人はいないか」「励ますべき人を忘れてはいないか」、サーチライトを当てるようにして、探しだしていただきたい。その一念、その行動があれば、広宣流布は、いよいよ限りなく広がっていく。
(『池田大作全集』第86巻、357ページ)

思いやりの振る舞いで
大聖人は、ある年の十二月の御手紙を、こう結ばれている。

「書きたいことは、たくさんありますが、年の瀬も迫り、御使いの方も急いでおられるので、これで筆を留め置くことにしました」(全1536・新1863、通解)

年末の慌ただしいなか、使いの人までも思いやられながらの御振る舞いである。

リーダーから、変わらなければいけない。リーダーの言葉一つ、振る舞い一つが、皆のやりがいとなり、喜びとなる。遠くから来てくれた方がいれば、「大変ななか、ありがとうございます」と最敬礼して迎える。帰られるときには、「くれぐれも事故に気をつけてください」「風邪などひかないようにしてください」と、必ずひとことかけていただきたい。「気を配ること」「気を使うこと」が、慈悲の表れである。
(『池田大作全集』第99巻、419ページ)

誰に誉められなくても
仏法では、「俱生神」すなわち人が生まれた時から左右の肩には同生天・同名天がいて、全ての行為を交互に天へ報告していると説かれる。

大聖人は、この譬えを通して、夫の四条金吾を佐渡まではるばる送り出した、日眼女の支えを賞讃されている(全1115・新1519)。

誰が知らなくとも、誰が誉めなくとも、仏天は全てお見通しである。陰の献身は、一切合切が自らの福徳となり、命の輝きとなる。

「陰徳陽報」という、生命の究極の栄光がここにあるのだ。
(『随筆 輝く民衆の大城』、125ページ)

真心の供養に大福運が
弘安二年(一二七九年)の年の瀬。正月を祝う真心の品々をお届けした窪尼御前に対して、日蓮大聖人は、こう仰せであられる。

「あなたが、これまで法華経に供養してこられた尊い御志は、さきざき御礼を書き尽くして、筆も尽き、指も動かないほどです。

三千大千世界に七日間降る雨の数は、数え尽くすことができるかもしれない。また、十方世界の大地の微塵の数を知る人もいるかもしれない。しかし、法華経の一字を供養した功徳を知ることはむずかしい、と仏は説かれています」(全1483・新1975、通解)

大聖人のお言葉には、絶対に噓がない。

この悪世末法にあって、一閻浮提の広宣流布に尽くし、仏意仏勅の創価学会を守っておられる皆さま方は、わが永遠の生命に、宇宙大の大福運を積まれているのだ。
(『池田大作全集』第95巻、407ページ)

真実は自然と明らかに
信心は、他人に“どう見えるか”ではない。自分自身が“どうあるか”“どう行動したか”である。

目には見えない「一念」と「行動」が、長い間には必ず目に見える結果となって現れてくる。長い目で見れば、その人の真実は、自然のうちに明らかになっていく。裏表のない人が最後に勝っていく。

たとえば、“電波”は目に見えないが、火星や金星にまでもつながっていく。生命の一念も、凡夫の目には見えないが、「一念三千」の法則によって、諸天・諸仏をも動かし、厳然たる「実証」となって現れる。

「信心」とは、いわばこの「冥の照覧」を信じきることといえるでしょう。
(『池田大作全集』第82巻、289ページ)

すべて仏道修行と前進
本年を有意義に総仕上げし、来年また、よき一年を迎えたい。

すべてが仏道修行である。「すべてが仏になる修行なんだ」と、大きな心で進んでいきたい。

また、いつも会場を提供してくださっている皆さまに、幹部は「誠実」と「礼儀」と「感謝」と、真心の「ねぎらい」がなければならない。当たり前と思ったら、たいへんである。
(『池田大作全集』第87巻、146ページ)