子どもは学会の庭で
親から息子や娘へという、信心継承のドラマの中に、一家和楽の要諦もあるといって過言ではありません。そのためにも戸田先生は「子どもは、学会の庭で育てなさい」と繰り返し訴えられていました。
家族で一緒に会合に参加することにも大きな意味があります。子どもたちが、今は分からなかったとしても、信心の息吹を肌から感じることで、偉大なる仏縁を結んでいることは間違いないのです。
(『創価学会永遠の五指針』、29ページ)
互いに高めゆく家族
仏法の眼は、親子の関係を固定的に捉えたりしません。信仰の上で、子どもの方が先輩として縁する場合もあるでしょう。
子どもが成長する姿を通して親が発心したり、信心を深めたりしていくことは、実際によくあることです。
ともあれ、妙法の家族は、互いに成長家族であり、地域や社会に幸福の光を放つ創造家族です。家族の一人一人が偉大なる誓願を果たしゆく尊貴な存在です。一人ももれなく、人類を仏の境涯へと高めゆく崇高な広布への使命を帯びて、触発し合っていくのです。
(『わが「共戦の友」――各部の皆さんに贈る』、136ページ)

2019年夏、各地で開催された創価ファミリー大会(茨城で)。“未来の宝”を育む創意工夫が光った。池田先生はメッセージを寄せ、「大いなる夢の翼を広げて、学び、伸びゆく夏を!」と望んだ
“一個の人格”として
若き生命を“下”に見てはならない。何よりも大切なことは、“一個の人格”として最大に尊重していくことである。
人づくりは真剣勝負だ。子どもの胸中には、立派な“大人”がいる。その“大人”に向かって語りかけていくことであろう。
「こんなことはわからないだろう」「これくらいでいいだろう」という見下した対応は、決してあってはなるまい。
(『随筆 幸福の大道』、144ページ)
テストでは測れない
ペーパーテストで判明する能力は、無限の可能性をはらんだ子供たちの素質、生命内在の“宝”のごく一部にすぎない。人の心の中には、たんなる記憶力、計算力などとは比較することもできない豊かな心情と、知恵と、創造をもたらす泉がひそんでいる。
その泉を、わが子の特質に応じて開発する心の教育にこそ、真実の愛情が注がれるべきではないであろうか。
(『池田大作全集』第20巻、232ページ)

2019年夏、愛知で開催された創価ファミリー大会
共に育つことが教育
「教育」は、「共育(共に育つ)」です。
子どもは不思議です。子どもには、まぶしい生命の輝きがある。子どもの元気な姿を見れば、大人も元気になる。
にぎやかな子どもの声があるところ、そこには「希望」がある。「平和」がある。「生きる喜び」がわいてくる。
(『池田大作全集』第62巻、154ページ)
姿ではなく心が大切
幹部の家庭でも、お子さんや家族が、病気や、さまざまな課題を抱えている場合も当然あるだろう。それは、少しも恥ずかしいことではない。人間の社会であり、人間の集団だ。
「心こそ大切なれ」である。「姿こそ大切なれ」ではない。
いろいろなことがあっても、「心」が大事なのである。信心の姿勢が重要なのである。
(『池田大作全集』第67巻、357ページ)

2019年夏、兵庫で開催された創価ファミリー大会
どこまでも信じ抜く
親はどこまでも、子どもの可能性を信じていくべきだ。祈り続けていけばよい。たとえ今は発心していなくとも、立派な「広宣流布の闘士」へ成長する時は、必ず来るからだ。
偉大な妙法である。信仰は一生涯のものであり、三世永遠である。大切なのは、信心を持ち抜くことである。大らかな気概に立って、長い目で子どもの成長を祈り抜くことだ。
(『随筆 出発の光』、90ページ)
愛情は具体的に表す
活動にしろ、仕事にしろ、なんのために頑張っているのか、人々に尽くしているのかという思いを、自信をもって、きちんと話してあげることです。
「きっと分かってくれるだろう」「忙しいのだから、仕方がない」といった勝手な思いこみは、禁物です。愛情は具体的に表してあげないと、子どもは頭で分かっていても、なかなか納得できないものなのです。
(『池田大作全集』第62巻、26ページ)

2019年夏、石川で開催された創価ファミリー大会
後継の世代の育成は組織をあげて取り組むことです。
わが地域の未来部員は、わが子、わが弟・妹と思って励まし、育てていくんです。
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