あらゆる組織の鉄則
〈1989年(平成元年)9月、第1回埼玉県総会・県青年部総会で〉
実際に見てみなければわからない。これが「現場」である。予想もできない“未知の力”が働いている場合も多い。ゆえに、第一線の人、その地域の人、長い活動体験を積んできた人。そうした方々の意見に徹底して耳をかたむけ、最大に尊重していかねばならない。
その、足を運び、耳をすまし、考えぬく努力が不十分で、いかに会議や打ち合わせを重ね、さまざまな企画を立てても、効果は生まれない。
それどころか、的はずれの“机上の空論”となり“観念の遊戯”となっては、むしろマイナスである。人々を苦しめてしまう。その罪は大きい。
「現場を大切にしたところが勝つ」――これはいかなる組織、いかなる企業、団体でも不変の鉄則である。
(『池田大作全集』第73巻、192ページ)
信心に徹して幸福に
〈2004年(平成16年)12月、第2総東京の代表協議会で〉
すべてにおいて、徹してこそ、人間はできる。
何より、信心は徹しなくてはいけない。あらゆる勝負は、徹した人が勝つ。徹するなかに、努力がある。忍耐がある。責任感がある。信心に徹した人は必ず幸福になる。真の勝利者になる。永遠に金剛不壊の大境涯と輝く。どこまでも学会活動に徹し、師弟不二に徹することである。
「徹する」とは、決して口先のことではない。
私は、十九歳の時から、戸田先生に徹してきた。創価学会に徹してきた。
人を頼み、「なんとかなる」と手を抜けば、何事も勝利はない。そんな甘いものではない。
努力することだ。行動することだ。そして人との連結を強め、味方を増やすことである。これを実行したところが勝つ。
(『池田大作全集』第97巻、175ページ)
現実に即した発想を
〈1990年(平成2年)10月、第12回関西総会で〉
どうすれば皆が心から安心し、納得し、蓄えた力を存分に発揮できるのか。その時、その状況に応じて、最善の選択を重ねていく以外にない。指導者にその億劫の辛労の一念があってこそ、「常勝」の「常勝」たる軌道が、未来へと盤石に伸び、続いていくのである。
過去の形式やパターンにとらわれてはならない。それは保守であり、また安易である。また、体面を気にしたり、意地を張って背伸びをする必要も、まったくない。
現実は刻々と変化している。その変化に応じて、こちらも進歩しなければ、時代に勝利することはできない。
仏法は「現当二世」と説く。未来を見すえ、現実に即した、新しい思考、柔軟な発想こそが必要なのである。
(『池田大作全集』第75巻、256ページ)

関西に“不滅の六段円塔”が打ち立てられた第1回関西青年平和文化祭――その数日後、池田先生は同志の勝利をたたえて筆をふるった(1982年3月、大阪・堺文化会館で)。兵庫の友には「大兵庫広布之誓」としたためた。先生は「『誓』とは、歴史をつくる『力』である。『誓』とは、暗闇を照らす『光』である。『誓』とは、邪悪を破する『剣』である」と
「能動」にこそ功徳が
〈1983年(昭和58年)3月、第1回福岡県総会で〉
広布における「先駆」ほど誉れ高いものはない。信心にも「能動」と「受動」の二つの姿勢がある。「能動」であってこそ、ほんとうの信心である。受動の信心には、功徳は少ない。信心は、あくまでも能動でなければならない。
「先駆の人」とは能動の人であり、みずから率先の人である。そこに栄光も勝利もある。すべてにおいて先駆をめざし、考え行動していく、根性、努力の人こそ、偉大であるし、平凡をつきぬけた英雄である。
そこにほんとうの充実感と喜びがあることを知っていただきたい。
(『広布と人生を語る』第4巻、247ページ)
知恵と知恵との戦い
〈1988年(昭和63年)3月、兵庫広布35周年の記念幹部会で〉
戦いというものは、つねに知恵と知恵との勝負である。相手の動きをどう読むか。そのうえで、どう手を打つか。この“知恵くらべ”を制したものが、栄冠を手にする。これは、時代や社会を超えた、勝負の鉄則である。
広布の舞台にあっても、指導者は賢明でなければならない。広布の活動はますます多岐に、幅広く展開されている。リーダーはそれに応じた知恵と力をもたねばならない。いずこの分野でも、妙法の正しさを証明し、人々に心からの納得と満足をあたえられなければ、もはやリーダーとはいえない。
(『池田大作全集』第70巻、344ページ)
深き祈りが我らの力
〈1996年(平成8年)4月、第2回神奈川県総会で〉
「此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり」(全1180・新1614)――これほどの不思議はありません。まさに「陰徳あれば陽報あり」とは、このことです――。
「偏に貴辺の法華経の御信心のふかき故なり」(全1180・新1615)――ひとえに、あなたの法華経(御本尊)へのご信心が深いからです――。
「深き信心」が大事である。「深き祈り」こそ勝利の力である。目に見えない祈り、陰の真剣な行動。その「陰徳」に徹した時に、必ず「陽報」が現れる。これが信心であり、妙法である。
(『池田大作全集』第86巻、419ページ)
爽やかな朝の出発で
〈1988年(昭和63年)3月、名古屋広布35周年を記念した中部幹部会で〉
三世永遠の法理にのっとった正しき人生行路を進み、もっとも意義ある一生を過ごすためには、まず朝夕の勤行が根本である。なかんずく「朝朝・仏と共に起き」(全737・新1027)と仰せのごとく、すがすがしい朝の勤行を行うことが大切であろう。朝ねぼうの仏様など存在しない。
朝の敗北は、一日の敗北につながる。一日の敗北は、やがて一生の敗北ともなろう。反対に、さわやかな朝の出発は、一日の充実と、堅実な前進の日々をもたらす。それは必ずや満足と勝利の人生として結実していく。ゆえに、朝に勝ち、一日一日、さわやかなスタートを飾りゆくことだ。
(『池田大作全集』第70巻、366ページ)
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