御書㊤ 2022年04月01日

君よ、貴女よ、大いに学べ!

確信と情熱が根底に

戸田先生は、御書を拝する姿勢について、「信の一字をもって、一切をつらぬいていることを、知らなくてはならない」と教えてくださった。

そして「民衆救済の大確信と、燃ゆるがごとき大聖人の情熱が、その根底をなしていることを、読みとらなくては、また無意味になることを知らなくてはならない」と。
(『随筆 人間勝利の光道』、204ページ)

共に活路を開く教学
学会の教学は「実践の教学」です。

目の前の一人に、勇気を贈る。目下の課題を打開する智慧を湧き起こす。そして、仏の生命力を涌現させて、共に大勝利への道を開いていく。

そのための御書であり、教学です。

何としても、皆を奮い立たせ、勝たせたい。この強き一念で御書を拝し、率先して祈り、行動していく中で、「随縁真如の智」が滾々と湧き出てくるのです。
(『御書と青年』、103ページ)

「御書を心肝に染め」
たとえ一節でもよい。一行でもよい。「この仰せの通りだ!」「この御書は今の自分にいただいたものだ!」と深く生命に刻みつけ、厳然たる信心で、新たな広布の戦いを起こしゆくのだ! それが「御書を心肝に染め」(全1618・新2196)よとの、日興上人の遺誡を守ることになるのだ。
(『池田大作全集』第136巻、96ページ)

心鍛える仏の金文字
日蓮大聖人の仏法は、「人間」を最高に強く賢くし、「心」を豊かに鍛え上げる「生命変革の哲理」です。御書の一文字一文字は、人間の根源の力を引き出すための仏の金文字です。御書の一編一編に、「わが弟子を、民衆の一人ひとりを、何としても、勝たせずにおくものか!」との御本仏の御慈愛の叫びが轟きわたっています。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻、5ページ)

御書講義をする池田先生(1972年8月、静岡で)。御書には「釈尊御入滅の後二千余年が間に、如説修行の行者は、釈尊・天台・伝教の三人はさておき候いぬ、末法に入っては、日蓮ならびに弟子檀那等これなり」(新604・全504)と。我らは師弟不二の「如説修行」を貫く

烈風に闘志燃やす力
御書には、吹きすさぶ苦難の烈風のなかから、不屈の闘志を燃え上がらせる厳たる力があります。日蓮大聖人の御精神がわが身に脈動すれば、何も恐れるものはありません。

心して御書を拝する限り、どんな宿業にも負けることはありません。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻、93ページ)

人生勝利の「生活法」
御書根本とは、御書をただ「聖典」として崇めることではありません。単なる論議講釈や、気休めのためなどでも決してない。釈尊は「法をよりどころとせよ」と教えました。私たちの生き方を根底で支えるものが、正しき「法」です。御本尊を信受し、御書を血肉としていくのです。苦悩多き人生と決別し、勝利するための「生活法」なのです。
(『信仰の基本「信行学」』、104ページ)

疲れた時こそ拝読を
今でも、恩師の厳愛の声が耳朶に響いてくる。

「疲れた時にこそ、御書を拝読していけ!

たとえ一行でも、二行でもよい。御書を拝して、自らの境涯を、もう一歩、開くのだ」

広布の戦いの中で御本仏の大境涯に触れれば、わが境涯も開かれる。大空のように広く、大海のように深い、師子王の心を取り出していくことができるのである。
(『随筆 人間勝利の光道』、130ページ)

研鑽が人材を育てる
御書の研鑽から人材が生まれます。人材が磨かれます。人材が鍛えられます。御書には、大聖人が「法華経の行者」として戦い抜かれた大生命が脈打っている。御書を講義する側も、講義を受ける側も、大聖人の師子王の生命に触れるのです。したがって自身の境涯が大きく開かれることは間違いありません。
(『信仰の基本「信行学」』、141ページ)

人類結ぶ共生の智慧
今、人類を結ぶ共生の智慧が求められている。万人が自分らしく輝きながら、共に支え合う世界こそが待望されている。

我らは確信する。この日蓮仏法の生命哲学こそ、世界の未来を開く希望の哲理であることを!

ゆえに君よ、貴女よ、大いに学べ!
(『随筆 輝く民衆の大城』、160ページ)

『日蓮大聖人御書全集 新版』池田先生の「序」から
御書は「希望と正義の経典」であり、「民衆の幸福の聖典」である。
御書は「師弟の誓いの経典」であり、「青年の勝利の聖典」である。
御書は「智慧と勇気の経典」であり、「地球民族の平和の聖典」である。