3・16 ㊤ 2022年02月18日

空高く翻れ! 創価後継の旗
連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は小説『人間革命』第12巻「後継」の章から、3・16「広宣流布記念の日」の意義について紹介します。
【背景】
「大作、あとはお前だ。頼むぞ!」

1958年(昭和33年)3月1日、静岡で創価学会が宗門に建立寄進した大講堂落慶の式典が開催された。戸田先生は前年の暮れ、生涯の願業となる75万世帯の弘教を達成。衰弱した体を押して式典に出席し、終了後、後事の一切を池田先生に託した。

祝賀行事が始まって1週間が過ぎた頃、3月16日に時の首相が来訪するとの報が入る。戸田先生は、この日に青年部を集結させようと提案。当日は首相の代理の出席となったが、命の火がまさに燃え尽きんとする中で、広宣流布のバトンを渡す後継の青年の育成に、最後の最後まで力を注いでいく。
次代の責任と使命を青年に
〈1958年(昭和33年)3月、戸田城聖のもとに、かねてから親交のあった、当時の首相から16日に総本山に参詣したいとの連絡が入った〉

戸田は、にこやかに笑みを浮かべながら伸一に言った。

「よい機会だ。この日に、青年部を登山させようじゃないか。そして、将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしよう」

彼が、模擬試験と言ったのは、広宣流布の全責任と使命を、次代を担う青年たちに託すために、その成就を想定した、模擬的な儀式を行うことを意味していた。(中略)

広宣流布が進めば、梵天も、帝釈も、正法を求めて集い来ることは、間違いない。大梵天王・帝釈等とは、現実に即して考えるならば、法華経を守護する働きを担う社会の指導者層といってよい。つまり、一国の宰相はもとより、各国、各界の指導者が、大聖人の仏法に共感し、讃嘆する日が来ることを、一つの儀式というかたちをもって、戸田は示そうとしたのである。

戸田城聖は、目を輝かせながら言った。

「広宣流布がなされれば、首相をはじめ各界の指導者が、この仏法を信奉して、世界の平和と繁栄を祈念する日がやって来る。いや、その時代を、青年の手で、必ずつくっていくのだ。伸一、ぼくは、この三月十六日の式典を、“広宣流布の印綬”を君たちに託す儀式にしようと思っているんだよ。この式典の全責任は、君がもつのだ。思い通りに、力いっぱいやりたまえ」

戸田の口調は穏やかであったが、その目は光り、ただならぬ決意と気迫を漂わせていた。

「はい、見事な後継の誓いの集いにいたします」

彼は、伸一の返事に、笑顔で頷いた。くつろいだ和服姿の襟元からのぞく、戸田の首筋の皺が、痛々しいまでに体のやつれを物語っていた。伸一には、恩師の命の火は、まさに燃え尽きんとしていることが直感された。

(321~323ページ)
広布への一念が真価を発揮
〈“広宣流布の模擬試験”を行う――その知らせは、瞬く間に、関係組織の隅々にまで流れた〉

人づてに知らせを受けた青年たちは、それが何を意味するのか理解しかねた。しかし、体調の思わしくない師の戸田城聖が、この日を楽しみにし、青年部の来るのを待っていると聞き、何か計り知れない、大きな意義を込めた式典が行われることを感じ取った。

青年部員の多くは、総登山の役員として、既に登山したか、三月後半には登山することになっていた。そこに青年部の登山が重なることになる。十六日は日曜日とはいえ、時間を確保することは容易ではなかった。

しかし、愚痴や文句を言う人は、誰一人としていなかった。万障繰り合わせて、是が非でも、戸田のもとに馳せ参じようとしていた。

戸田は、折に触れて、「いざという時、広宣流布の戦場に駆けつけられるかどうかだ」と語ってきたが、青年たちは、今、その時が来たと思った。広宣流布への決定した一念は、まことの時に、その真価が発揮されるといえよう。

財も、地位も、名誉も欲せず、ただひたすら広宣流布を夢見てきた青年たちにとっては、師匠・戸田城聖が指揮を執る晴れの式典に参加できることは、無上の誉れであり、喜びであった。胸躍らせながら、直前に迫ったこの日を待った。

戸田の胸中には、広宣流布の模擬的な式典を行うという構想が、既に三月一日の大講堂落慶法要の前から、描かれていたのである。

彼は、首相が落慶法要に参列できず、日を改めて総本山に参詣したいとの知らせを受けた時から、その折に青年部を登山させ、広宣流布成就の日の姿を象徴的に示す儀式を、挙行しようと決めていた。また、その式典が、自らの手で青年たちを訓練する、最後の機会になるであろうことを感じていた。

(324~325ページ)

1958年3月16日、指揮杖を持ち、音楽隊と共に行進する池田先生。創価三代の師弟に受け継がれた“広宣流布の印綬(いんじゅ)”は、今、新時代を駆ける私たちの手に

学会は宗教界の王者である
〈およそ6000人の青年が集結し、広宣流布を記念する式典が行われた。席上、戸田城聖は、後継の青年たちに師子吼した〉

「妙法のもとには、皆、平等です。そして、個人も、国家も、幸せと繁栄を得るには、正法を根幹とする以外にはない。ゆえに、われわれには、広宣流布を断じてなさねばならぬ使命がある。それを今日、私は、君たち青年に託しておきたい。未来は、君たちに任せる。頼むぞ、広宣流布を!」

それは、戸田の命の叫びであった。稲妻に打たれたような深い感動が、六千余の青年たちの胸を貫いた。束の間、凜とした厳粛な静寂が辺りをつつんだ。感動は、決意となって青年たちの胸中に吹き上げ、次の瞬間、嵐のような拍手が天に舞った。空には、広宣流布の誓いに燃え立つ青年をつつみ込むように、白雪を頂いた富士がそびえ立っていた。

戸田は、一同を見渡すと、力強い口調で語った。

「創価学会は、宗教界の王者であります。何も恐れるものなどない。諸君は、その後継者であるとの自覚を忘れることなく、広宣流布の誉れの法戦に、花の若武者として、勇敢に戦い進んでもらいたい」

創価学会は、宗教界の王者である――その言葉は、戸田が生涯をかけた広宣流布の、勝利の大宣言にほかならなかった。また、彼が青年たちに放った、人生の最後の大師子吼となったのである。

戸田は、こう言って話を結んだ。

「今日は、少し話が長すぎてしまった。話しておきたいことは、たくさんあるのだが、これくらいにしておこう」

彼が、名残惜しそうに話を打ち切ると、盛んな拍手が、しばし鳴りやまなかった。青年たちは、病み、衰えた師の体内から発せられた、鮮烈な魂の光彩を浴びた思いに駆られていた。

(352~353ページ)
弟子たちの新たな誓いの日
〈式典の終了後、戸田城聖は雪化粧をした富士山を眺め、思いを馳せた〉

戸田の脳裏に、獄中に逝いた師の牧口常三郎の面影が浮かんだ。牧口が柱と頼む弟子は、自分をおいて誰もいなかったことを、彼は、しみじみと思い返した。

最愛の恩師を亡くし、憤怒に身を焦がしながら、敗戦の焼け野原に、ただ一人立ったあの日から十三星霜――彼の腕で育った若人たちは、さっそうと広宣流布の“長征”に旅立ったのである。

戸田は、心で牧口に語りかけた。

“先生! 戸田は、あなたのご遺志を受け継いで、広宣流布の万代の基盤をつくりあげ、ただ今、後事の一切を、わが愛弟子に託しました。先生のご遺志は、青年たちの胸のなかで、真っ赤な血潮となって脈打っております。妙法広布の松明が、東洋へ、世界へと、燃え広がる日も、もはや、遠くはございません”

彼の胸に、にっこりと笑みを浮かべ、頷く牧口の顔が映じた。吹き渡る春風が、彼の頰をなでた。

山本伸一は、車駕と共に歩みを運びながら、戸田を仰いだ。戸田は、静かに目を閉じ、口もとには、ほのかな微笑を浮かべていた。伸一には、それは、生涯にわたる正法の戦いを勝利した、広宣流布の大将軍が凱旋する姿に思えた。

しかし、晴れやかではあるが、そのやつれた相貌から、妙法の諸葛孔明・戸田城聖の命は、まさに燃え尽きようとしていることを、感じないわけにはいかなかった。

伸一は、戸田を仰ぎ見ながら、ひとり誓うのであった。

“先生、広宣流布は、必ず、われら弟子の手でいたします! どうか、ご安心ください”

広宣流布の印綬は、今、弟子・山本伸一に託された。創価後継の旗は、戸田の顔前に空高く翻ったのである。太陽に白雪の富士はまばゆく輝き、微笑むように、その光景を見守っていた。

この三月十六日は、のちに「広宣流布記念の日」となり、広宣流布を永遠不滅ならしめる、弟子たちの新たな誓いの日となった。

(355~356ページ)