青年の心 2022年02月04日

新しい力が壁を破る!
子よ大樹と仰ぎ見む

私は、恩師に見出され、「嵐に負けずに伸びよ」と、師弟の大地に植えられた一本の若木であった。

わが心に原点の大地を持つゆえに、私はいかなる苦難も耐えられる。絶対に負けない。恐れない。

一日一日、青年の心をもって、胸中で師匠・戸田先生と対話しながら、新たな決意を燃やして生き抜き、戦い抜いてきた。

だから勝った。だから、全民衆を護りゆく「大樹」の創価学会を築くことができた。一点の後悔もない。

そして、わが愛する青年諸君こそ、私が生命を注いで鍛え磨いた、正義の宝剣である。私が未来の世界に贈る、希望の大樹なのだ!

共に歌ってきた「紅の歌」に私は詠んだ。

「子よ大樹と仰ぎ見む」

私は君たちを信ずる!

君たちの成長と勝利を、悔いなき人生を、私はひたすらに祈り待っている!

(『随筆 平和への大道』、125ページ)

一対一の結びつきで
蒲田支部の二月闘争は、七十五万世帯の折伏への突破口を開いた。それは、いわゆる組織を動かした成果ではなかった。

この時、私は二十四歳の無名の青年にすぎない。

支部の壮年、婦人には、初対面の方々も多かった。

お会いして、誠実に語り合わずして、どうして信頼されようか。自分が真剣に戦わずして、どうして共に動いていただけようか。

だから私は勇んで飛び込んでいった。自身の悩みや宿命と必死に戦う人間群の真っ直中へ! かけがえのない一人ひとりの生命と向き合い、心に訴えた。人間革命と広宣流布の誓願に生き抜く尊き使命と喜びを!

この一対一の人間の結びつきを根幹として、新たな人材を見つけ、励ましを送り続けたのだ。

その結果、かつてない多くの友が折伏に挑戦し、同志の行くところ、集うところ、対話の花が咲いた。この一カ月、蒲田の同志が繰り広げた対話は、何千回にも及んだに違いない。

「新しい人」「新しい力」による「新しい対話」が、爆発的に広がった。まさに地涌の底力によって、壁は破られ、「新しい歴史」の扉が開かれたのである。

(『随筆 民衆凱歌の大行進』、223ページ)

1973年1月21日、池田先生は東京・練馬の友との記念撮影に臨んだ(石神井の静水会体育館〈当時〉で)。「嵐の中でこそ本物が磨かれ、その正義の旗のもとに先駆者としての崇高なる誇りと人間道がある」と、青年に期待を寄せた

消えることなき聖火
繰り返し繰り返し、御書を拝し、一節一節を行動に移していくことだ。

そうすれば生命が覚えていく。確信になっていく。深く「心肝」に染めた御文は、必ず人生勝利の土台となり、宿命転換の力となる。

御書に仰せではないか。

「法華経にそめられ奉れば必ず仏になる」(全1474・新1951)

「此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし」(全1448・新1721)

自分自身が、いかなる人生の荒波も乗り越えながら、多くの友を幸福の港へと運ぶ、偉大な賢者の大船となれるのだ。

「御書とともに」走った青春には、生涯消えることなき聖火が宿る。その求道の炎を、いやまして燃え上がらせ、未来の広布の大指導者として羽ばたけと願ってやまない。

(『随筆 我らの勝利の大道』、90ページ)
「負けじ魂」持つ闘士
それぞれの誓願の国土においても、使命の人生においても、艱難があり、試練がある。しかし学会っ子は、大変であればあるほど、勇み立つ「負けじ魂」を持った闘士である。

大聖人は、あらゆる大難を乗り越え、末法広宣流布を担う「地涌の菩薩」について、「よくよく心を鍛えられた菩薩なのであろう」(全1186・新1608、通解)と述べられている。

苦難に負けないこと、屈しないこと、そして乗り越えること――それは言い換えれば、本来、鍛え抜かれた偉大な生命を持っているということなのである。

地涌の生命の底力が、どれほど深く、どれほど強く、どれほど大きいか。

御書には、ありとあらゆる大難の怒濤を勝ち越えていく力を、厳然と記し留めてくださっている。

眼を開いて見れば、皆が大聖人に直結する、尊貴な地涌の菩薩なのである。

あの凜々しい青年も!

あの清々しい乙女も!

いかに時代の混迷の闇が深くとも、胸中に希望の光を抱いて、創価の青年たちは粘り強く、前へ前へと歩みを進めていくのだ。

(『随筆 希望の大道』、42ページ)
「つねに伸びていく」
思えば、先師・牧口常三郎先生は、晩年まで「われわれ青年は!」と叫び、「暦の年じゃない。つねに伸びていくのだ」と言われていた。

牧口先生が、青年の青年たる所以とされていたのは「実践」であり、なかんずく「大善」を行うことであった。

すなわち、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を持ち、日蓮大聖人の立正安国の教えを実践し、弘めゆく「大善」である。広宣流布という菩薩の行に生き抜く中に、自他共の幸福が、そして社会の平和と繁栄があると、先師は訴えられたのだ。

牧口先生が創立以来の伝統の座談会を、「大善生活法実証座談会」と銘打たれたのは、七十五年前(2017年当時)の一九四二年(昭和十七年)の二月であった。

当時の創価教育学会の機関紙「価値創造」には、東京の大塚支部、池袋支部、中野支部、北多摩支部など各地で、活発に実証座談会が行われていたことがうかがえる。

牧口先生自ら蒲田支部等の座談会に足を運び、同志の悩みに耳を傾けながら励ましを送られたという記録も残っている。

この年の二月十一日、つまり戸田先生の誕生日に、牧口先生は青年部の会合に出席し、明治維新の立役者が二十代の若者だったことを通して激励された。“広宣流布は、青年のリーダーシップによらねばならない”と。それは、戸田先生が常に語られた言葉でもある。

(『随筆 永遠なれ創価の大城』、174ページ)