四六時中
常在戦場の師である。
幾たびとなく
真夜中に呼び出しも受けた。
隼のごとく馳せ参じるのが
常であった。
側に私を呼んでは
「勝つことを
千里の外に決する」
勝利への作戦会議が
二人だけで繰り返された。
困難を極める戦いは
すべて私に命じられた。
「わが弟子ならば
断じて勝て!
勝って当然だ」
慰労の言葉など皆無であった。
勝つことが
真の弟子の証しであるからだ。
私は走った。
一切をなげうち
無我夢中で戦い抜いた。
蒲田で 文京で 札幌で
大阪で 山口で 夕張で……
行く先々で
未聞の勝利の旗を打ち立て
広宣流布の活路を開いた。
師は最高首脳に
語っておられた。
「大作が行ったところは
すべて大発展している。
すべて大勝利している。
この現証を見よ!」
師匠と共に進めば
生命は燃え上がる!
師を思えば
勇気が出る!
力が湧く!
智慧は尽きない!
戸田先生は
民衆の幸福と平和のために
立正安国の戦いを起こされた。
それは――
「山に山をかさね
波に波をたたみ
難に難を加え
非に非をます」
権力の魔性との
大闘争であった。

鮮やかな彩りの桜花の向こうに白雪輝く富士の雄姿が――戸田先生が愛した「富士」と「桜」を池田先生がカメラに収めた(1989年5月、静岡で)
大難来たり。
昭和三十二年の夏
北に夕張炭労事件起こり
西に大阪事件起こる。
若き闘将は
北海の大地に
民衆勝利の歌を轟かせ
そして自ら
大阪府警へと向かった。
忘れまじ
その途次の羽田空港で
逝去九カ月前の
衰弱の激しき師は
牢に赴く弟子に言った。
「もしも もしも
お前が死ぬようなことになったら
私も すぐに駆けつけて
お前の上にうつぶして
一緒に死ぬからな」
なんと尊き慈愛の言葉か!
それが師匠の心なのだ。
私は心で泣いた。
「先生のお身体には
指一本 触れさせぬ」
無実の容疑で捕らわれた私は
一身に難を受けた。
だが弟子は
創価の正義を天下に示した。
先生亡きあとの
昭和三十七年一月
法廷闘争に勝利し
私は無罪判決を勝ち取った。
重大なる広布の使命の
全責任を抱いた
後悔なき
名誉ある人生が仏法なのだ。
嫉妬の
卑劣極まる虚言など
誰が信ずるか!
これが
世界の王者の
勝利への絶叫であった。
有名になった強欲な
多くの弟子は
先生から去った。
代議士にもしてもらい
そしてまた
学会の重要な役職にありながら
その大恩も踏みにじった
卑怯な連中は
みな立ち去っていった。
わが師は
よく言われた。
増上慢に
成り下がった弟子は
もはや弟子ではなくして
恩知らずの敵である。
蓮祖の時代にあっても
日興上人ただ お一人が
清流に立ち上がられた。
他の五老僧らは
みな濁流に流された。
あの戦争中
時の権力に怯えて
多くの幹部が
退転していった。
戸田先生お一人が
師の心を心として
厳然と立ち上がった。

桜に包まれる東京・市ケ谷駅周辺(2019年3月、池田先生撮影)。お堀端にはかつて、戸田先生が顧問を務め、若き池田先生が勤務する会社があった。そこには学会本部の分室が併設された
偉大な大師匠である
戸田先生の弟子たる私は
師に出会った十九歳の時から
師の亡くなられるまで
来る日も来る日も
朝から真夜中まで
常に先生の近くでお仕えした。
それはそれは
悪戦苦闘の師を
お守りしながら
現在の学会の大発展の
基盤を作り上げたのだ。
これが
師弟の実相であることを
叫びたい。
いま私は
次の真の弟子の道を
青年たちに託したい。
これが大発展への
方程式であるからだ。
ありとあらゆる
三類の強敵の
怒濤の中にあって
私は一切を乗り切り
すべてを完勝した。
勝って師の笑顔が
見たかったのである。
ゆえに私にとって
永遠の師匠・戸田先生と
苦楽を共にし
歴史を創り上げた日々は
すべてが勝利であり
光り輝いている。
私は断固と勝利した。
一切に勝利した。
この実像が
師弟不二の
信力・行力なのだ。
ああ!
恩師と共に過ごし来た
あの日あの時は
すべてが
また すべてが
私にとっては
輝く黄金の思い出となっている。
師は――
仏法の王者であられた。
闘争の王者であった。
正義の王者であった。
これこそ
人間指導者の大賢人だ!
この王者と共に
月月・日日に
私は
青春の不朽の歴史を
綴ることができた。
恩師は
あまりにも偉大であり
私は幸福者であった。
いな 師も弟子も
永遠不滅の
幸福と勝利の生命が
輝きわたって
流転してゆくにちがいない。
師を念い
師をば語りて
世界まで
私は
一切の誓いを実現した。
師の構想の種子から
天空高く生い茂る
壮大なる大樹を育て上げた。
創価の会館は
民衆の大城となりて
全国 全世界に林立し
聖教新聞は
言論の大城となった。
創価大学 創価学園は
世界も注目する
教育の大城となった。

春の日差しを浴びる創価大学の本部棟を、創立者・池田先生が撮影した(2017年4月、東京・八王子市で)
「戸田の命よりも
大切なり」と言われた
創価の組織は
仏法史上
いな人類史上に輝く
世界百九十カ国・地域への
壮大なる平和と文化と教育の
広がりとなった。
(*1)
釈尊の未来記
そして
日蓮大聖人の
「仏法西還」という悲願は
完全に成就した。
「一閻浮提広宣流布」という
仏法の究極の予見である
人類の新しき平和の朝が
輝き始まってきたのは
皆様ご存じの通りだ。
私は
戸田大学の卒業生である。
師匠は
戸田先生お一人
弟子は
私ただ一人であった。
約十年間
万般にわたる教育を
なさってくださった。
その戸田大学の卒業生には
世界の大学・学術機関からの
知性の宝冠は二百を超えた。
名誉市民の称号は
四百六十を数えるに至った。
「世界一の壮挙である」と
著名な識者の方々は
誉め讃えてくださっている。
(*2)
これは
すべてにわたって
恩師・戸田先生の
凱歌の栄誉であられる。
師匠の勝利は
弟子の勝利。
弟子の勝利が
師匠の勝利なのだ。
全生命を賭しながら
一生涯
師匠に仕えきった者が
次の師匠となる。
これが
仏法の方程式だ。
これが
師弟不二である。
人間にとって
師弟に勝るものはない。
師を持たぬ者は
人間の愚者と
なってしまうからだ。
師を持たぬ者は
勝手気ままな
驕慢になってしまうからだ。
一家に親子があるごとく
社会には師弟が
必ずあるものだ。
それが古より
世界万般の鉄則であった。
師の恩を
遂に果たせり
今世かな
私の心には
いつも いつでも
笑顔輝く戸田先生がいる。
いまもなお
「先生なら どうされるか」
師との対話の日々の連続である。
いかに暗黒の時代に遭遇しても
偉大なる師を念うときに
必ず一本の光の大道が
広がってくるのだ。
ああ!
師匠は鑑である。
師匠は希望である。
師匠は力である。
心に師を持つ人生には
絶対に逡巡はない。
心に師を持つ人生には
断じて敗北はない。
おお!
わが恩師
戸田先生!
世界第一の師匠
戸田先生!
永遠の人生の師
戸田先生!
弟子・池田大作は
晴れ晴れと勝ちたり。
師弟不二の詩を
不滅の歴史と残したり。
一段と
決意深まる
師弟かな
今日も晴れ晴れと
妙法流布の正義の大道を!
私は絶対に
後悔の人生をつくらない。
凜々たる勇気で
価値ある勝利の歴史を
勇み歩んでいくのだ。
これが
仏法であるからだ。
これが
師弟の道の法則であるからだ。
二〇〇七年二月四日 立春の日
わが師・戸田城聖先生の
百七回目の誕生日を祝して
(*1)現在は192カ国・地域
(*2)現在の名誉学術称号は398、名誉市民称号は824
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