
258回目の関西訪問を終え、大阪から東京に戻る車窓から。手前の集合住宅が薄暮に包まれる中、空を舞う雲や、富士山頂の雲も夕映えのピンクに染まる(池田先生撮影。2007年11月、静岡県内で)
試練に不屈の民衆連帯を!
それは、うれしい新出発であった。
我らの団地部が結成五十周年の今この時、「幸福城部」という新名称で、新たな生命力を燃え上がらせて、希望の大行進を開始したのである。
振り返れば、「昭和」から「平成」に変わった年(一九八九年)の晩秋だったと思う。関西の団地部の宝友が、朗らかに奮闘する皆の息吹を伝えるアルバムを届けてくれた。尊き笑顔の花また華に合掌しつつ、私は揮毫して贈った。
「心は大きい 広い幸福城」と。
まさしく、「一身一念法界に遍し」(新135・全247等)と、大きい、広い心で、気高き同志たちは、誓願の団地・地域に「幸福城」を築いてこられた。
これまで団地部の友が、どれほど誠実に日頃の挨拶から友情と信頼を広げ、どれほど聡明に助け合いの行動を重ね、どれほど粘り強く自治会の活動をはじめ、地域貢献を続けられてきたことか。ゆえに、宿縁深き団地が珠玉の「人間共和の合衆国」へと輝きを放ってきたのだ。
今、多くの団地が少子高齢化などの諸課題に直面しているともいわれる。単身世帯も増えている。高層化やオートロック化など形態も変化しつつある。
わが同志の使命はあまりにも大きい。私は、大切な皆様方の健康長寿を、妻と懸命に祈る日々である。
日蓮大聖人は、「名は必ず体にいた(至)る徳あり」(新1665・全1274)と仰せになられた。
創価の地域本部が先頭に立って、あの地この地に、生命尊厳と人間尊敬の共同体を! 平和の「幸福城」を!と、願ってやまない。
よき人間関係を
空晴れ渡る秋、米ボストン近郊のハーバード大学からの招聘で、二度目の講演を行ってより三十年――。この知性の殿堂近くに設立した国際対話センターを広場として、私たちは幾重にも平和・文化・教育の交流を重ねてくることができた。
ガルブレイス博士(経済学)、ヤーマン博士(文化人類学)、コックス博士(宗教学)、ボールディング博士(平和学)、ドゥ・ウェイミン博士(中国歴史哲学)、ワイダー博士(文学)らと、世界へ未来へ語り留めた対談集も、多彩な広がりとなっている。
ハーバード大学では、一九三八年以来、八十年以上、多くの家族を、世代を越えて科学的に追跡調査し、“健康で幸福な人生を送るための要因”について探究を続けてきたという。
その最も重要な知見は、「よい人間関係が必要だ」という一点であった。
実に貴重な、また、誠に示唆に富む研究だ。
創価学会は、創立以来、「善知識たいせち(大切)なり」(新1940・全1468)との御聖訓のまま、まさに「善知識」すなわち最良の人間関係を結び合い、自他共に「健康で幸福な人生」の実証を無数に示してきた。
恩師・戸田城聖先生が、各宗教について、その生活の実態を、科学的に五年、十年と追跡調査することを提唱されていたことも思い起こされる。
まさに「道理・証文よりも現証にはすぎず」(新1941・全1468)である。
孤立や分断が深刻な時代だからこそ、ハーバード大学の講演で“「開かれた対話」の壮大な交響を”と申し上げた通り、いやまして社会へ、生命の絆の安全地帯を創り広げていきたい。

ハーバード大学で第1回の講演を行った翌日、ボストン会館を訪問。歓迎の未来部の友に感謝と励ましを(1991年9月)
「七年一変の説」
世界中に結んだ、創価の励ましのネットワークは、後世へつなぐ至宝である。
先日(九月二十九日)は、「中秋(陰暦八月十五日)の名月」が満月となり、黄金の光を見せてくれた。
この夜、清新な未来部の担当者の若人たちが、次に名月と満月が一致する七年後の創立百周年を見つめ、力強くスタートを切った。
「七年一変の説」――およそ七、八年、ないし十年で「機勢」は変転し、「人心が一変する」と洞察していたのは、今年で生誕二百年を迎えた勝海舟である。
次元は違うが、我ら創価の師弟も、七年また七年と、広宣流布の勝利の鐘を打ち鳴らしてきた。
御書には、地涌の菩薩の結集を「むさしの(武蔵野)のすすき(芒)のごとく、富士山の木のごとく、ぞくぞく(簇々)と」(新2090・全1245)と仰せである。創立百周年の壮大な人材群の広がりを、私は天の明鏡に映し出す思いで、祈り見守っている。
正心誠意で行け
勝海舟は、「正心誠意」の四字を根本とした外交により江戸を戦乱から救った。
彼は「確乎たる方針をたて、決然たる自信によって」進んでいった。そうすれば、「従来敵視していた人の中にも、互いに肝胆を吐露しあうほどの知己ができる」との信条からである。
語らなければ、新たな時代は開けない。どこまでも誠意をもって語り抜けば、必ず相手の心は変わる。
海舟は、江戸っ子らしい口調で古今の人物評を語り残したが、“昔の人は根気強かった”と挙げた筆頭が日蓮大聖人であった。
「どうしても弱らない、どんな難局をでも切りぬける」と驚嘆している。
我らには、この御本仏の御遺命である「世界広宣流布」を成しゆく、重大な使命がある。大聖人直伝の「法華経の兵法」がある。
いかなる逆境もはね返し、味方をつくり、仲間を増やしながら、「不可能」を「可能」とし、一切を変毒為薬しゆくのだ。
立正安国の使命
全国で実施された「教学部初級試験・青年部教学試験三級」に際し、求道の受験生の皆さん、応援してくれた皆さん、役員の皆さんを、改めて労い、讃えたい。合否を超え、一人ひとりの生命に計り知れない境涯の深まりと、福徳の広がりがあることを確信する。
今回の範囲には、「立正安国論」も含まれていた。
創価学会の「広宣流布の大願」は、即「立正安国の誓願」である。妙法を全世界に弘める使命は、全民衆の平和と安穏を実現していく使命と一体なのだ。
昨今の自然災害、疫病、そして戦乱は、人類が大きな岐路に立っている現実を突きつけている。
「安国論」では、社会の惨状を嘆く客に対し、主人が「このことを愁いて胸臆に憤悱す」(新25・全17)と応え、「しばしば談話を致さん」(同)と対話が進められる。
現実の悲劇を前に、嘆き悲しむだけなら、何も変わらない。どうすれば変えていけるのか。主体的に考え、真剣に祈り、共に打開への一歩を踏み出していく。
ここに、日蓮仏法の魂はあるのだ。
苦難に光る哲学
人がいかなる思想・哲学を持つか。それによって、意識が変わり、行動が変わる。そして現実が変わり、未来も変わる。
仏法は、あらゆる人が尊厳な生命であり、一人ひとりに無限の可能性が具わっていることを教える。
人間には、自然の脅威にも屈しない強靱さがある。どんな災難をも乗り越えていく勇気と希望があり、周囲の人びとと立ち上がっていく智慧と慈愛がある。
そうした一人ひとりの力を育み、地域の人びとの力を糾合していくことが、必ずや災害に負けない社会を築く基盤となる。
その中で紡がれ、結ばれた絆は、「いざ」という時に力を発揮するものだ。
一九五九年(昭和三十四年)九月に起きた伊勢湾台風のことが、思い出される。
特に、被害が甚大だった愛知と三重の被災者の救援に、私は学会の一切の責任を担う総務として、陣頭指揮を執った。
直ちに県内・近県の青年部を中心に、同志が被災地に駆けつけて支援に当たってくれた。最前線から届く被害状況の報告に応じて、医薬品や衣料品などを送る手はずを整えるとともに、私も自ら現地に足を運んだ。相手が会員かどうかなど関係なく、目の前にいる被災した方々を全身全霊で激励させていただいた。
今こそ命を守る主体者として立とう! 地域のために心を合わせて動こう! 皆がその決意で走った。
炊き出しを始め、熱々のご飯で手を真っ赤にしながらも、おにぎりを握り続けた友がいた。そのおにぎりをボートに積み、水没した家々を回りながら被災者に配った友がいた。そうした学会からの救援の手は、どこよりも早く差し伸べられていたのである。
苦難の闇の中に光る同志の献身は、大聖人が「教主釈尊の出世の本懐」(新1597・全1174)とまで言われた、尊き「人の振る舞い」そのものであった。
それは、誉れの堅塁・中部の揺るがぬ土台である。

民衆の幸福の城を共に築こう!――100回目の中部訪問のひと時、新緑光る名城公園から名古屋城を望む(1995年5月)
今ここで旗掲げ
過日、四十四カ国・地域から代表が集った「SGI青年研修会」でも、リーダーたちは自身の課題と格闘しながら、地域ごとの問題や国土の試練に逞しく挑んでいた。
ある友は“私にもできたように、誰もが幸の人生を開いていける”との確信を周囲に広げていると、誇り高く語っていた。
絶望を希望に!
宿命を使命に!
一人立つ誓願の連帯を!
私たちは、何があろうが、この不屈の覚悟で、今いる場所に根を張り、勝利の旗を掲げていくのだ。信頼と友情を深め、民衆と民衆のスクラムを築き、郷土のため社会のために、智慧と力を尽くしていくのだ。
大聖人は、「家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」(新1807・全1374)と引かれておられる。
わが家に、わが地域、わが国土に、妙法の音声が響いているということが、いかに素晴らしいことか。
今再び、最も基本である勤行・唱題を大切に、いよいよ朗らかに人間革命の舞を舞いながら、常勝の「健康城」を、「幸福城」を、そして「平和城」を勝ち光らせていこうではないか!
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