
蓮華は、花と実を同時にそなえるという。同じように、全ての若き生命の内には希望の果実が確かに(池田先生撮影。7月、都内で)
100年後 200年後を見つめ――人材育成の新たな挑戦に黄金の汗を
今夏は、日本でも世界の各地でも、沸騰するような記録的な猛暑です。
一方で大雨や暴風の災害も頻発し、特に台風6号により沖縄・奄美地方が深刻な被害を受け、今も九州はじめ西日本に大きな影響が出ています。発達中の台風7号も要注意です。
何よりも被災地の方々の無事安穏を祈るとともに、被害が少なく済み、一日も早い復旧を、と願ってやみません。また酷暑の下、皆様が熱中症などにならないように、そして農作物なども守られるように、と題目を送り続けております。
日蓮大聖人は、「当世は世みだ(乱)れて民の力よわ(弱)し」(新2047・全1595)と慨嘆されておりました。
今、私たちは、この「民の力」を何としても強く結び合いながら、「立正安囻」へ貢献を果たしていきたいのであります。
現当二世の信心
御書をひもとくと、幾度となく、ある言葉に出合う。
それは「未来」である。
「報恩抄」に――
「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもなが(流)るべし」(新261・全329)
「開目抄」に――
「三仏の未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあた(与)えんとおぼ(思)しめす」(新120・全236)
「顕仏未来記」に――
「仏記既にかくのごとし。汝が未来記いかん」(新611・全508)等々。
御書新版には、「未来」の文字が、実に百七十五カ所にも上る。
そもそも法華経を貫く最大のテーマが「未来」である。すなわち「仏滅後の悪世末法にあって、真に弘めるべき法とは何なのか。その正法を誰が弘通するのか」を明かすことにあるからだ。
大聖人は、末法万年尽未来際にわたって、一切衆生を幸福にするために、あらゆる大難を勝ち越え、法華経の肝心を御本尊として顕し残してくださった。
現当二世の信心である。「未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」(新112・全231)との経文通り、未来の大勝利という「果」のために、今その大いなる「因」をつくるのだ。
この偉大な「仏の仕事」に直結する、最も尊き走者こそ、創価の未来部担当者の方々にほかならない。
躍進の夏に感謝
先月八日からスタートした「未来部躍進月間」も、はや一カ月が経った。
炎暑が続く中、「子どもたちの幸福」を祈り、後継の王子王女に希望と勇気の涼風を送るために、日々、黄金の汗を流してくださっている宝友に、どれだけ感謝してもしきれない。また、伝統の各種コンクールを発展させる「未来部サマーチャレンジ」も、すばらしい取り組みである。
子育て・孫育てに奮闘されている方々や、そのご一家を支える地域の創価家族、さらには家庭教育懇談会などを通じて親御さんに“安心と共感の居場所”をつくり広げてくれる教育本部の先生方にも、心から敬意を表したい。
バトンをつなぐ

「正義の走者」として未来へ! 全国未来部夏季研修会に、はつらつと集った友(7月、東京・八王子市の創価大学で)
先月三十日、“平和のフォートレス(要塞)”たる創価大学と列島各地の会館を中継で結び、「全国未来部夏季研修会」が晴れやかに行われた。中・高等部員の代表二万五千人が高らかに響かせてくれた未来部歌「正義の走者」の合唱と旋律は、わが生命にも強く深く響いて離れない。
体験発表に立った神奈川県の女子高等部員は、小・中学校時代に思うように学校に通えない悩みの日々にあって、創価家族の励ましを力に負けなかった歩みを語り、皆に感動を広げた。今は通信制高校で充実の毎日を送りながら、将来の夢へ尊い努力を重ねている。
このご一家で初めて“信心の灯”をともしたのは、彼女の曽祖父、つまり「ひいおじいちゃん」であり、私にとっても忘れ得ぬ、大切な旧友である。
最初の出会いは、一九五二年(昭和二十七年)、私が担当した神奈川の川崎での座談会であった。
洋画家を目指して九州の佐賀県から上京し、友人に誘われ初めて参加した青年だったのである。
芸術の道で本当にやっていけるのか。不安を吐露する彼に、私は即座に申し上げた。「この信心で日本一の画家になりませんか!」
彼は深く頷き、入会した。
私は折あるごとにエールを送り続けた。洋画家として堂々たる実績を重ね、芸術部の第一期生として活躍。晩年には静岡の富士美術館(当時)の名誉館長も務めてくれたのである。彼の絵は、アメリカ創価大学にも置かれている。
あの日あの時の座談会で語り合った若人が、妙法を持ち、芸術と人生の名画を鮮烈に描き切ってくれた。そして、一家四世代にわたる“信心のバトンリレー”の凱歌が轟いているのだ。 その幾山河には、どれほど豊かな同志との支え合いがあり、励まし合いがあったことだろうか。
“転じて幸いに”
文永十年(一二七三年)の八月、日蓮大聖人は大難の佐渡から、幼い娘の病気と闘う鎌倉の門下の一家へ、お手紙を送られた。
平癒を「二六時中に日月天に」(新1632・全1124)祈り抜かれつつ、こう断言なされている。
「経王御前には、わざわい(禍)も転じて幸いとなるべし。あい(相)かま(構)えて御信心を出だし、この御本尊に祈念せしめ給え。何事か成就せざるべき」(新1633・全1124)と。
どんな家族にも悩みはあり、どんな子育てにも苦労がある。思いもよらない災難が、わが家、わが子に襲いかかる時もあろう。
しかし私たちには、「南無妙法蓮華経」という「師子吼」がある。「日蓮がたましい(魂)をすみ(墨)にそ(染)めなが(流)してか(書)きて候ぞ、信じさせ給え」(同)と仰せの「御本尊」がある。
勇気ある信心を奮い起こせば、必ず必ず「転じて幸いとなる」のだ。私たちは、いかなる困難も、断じて一家と子どもの未来への「幸い」と転じてみせるのだ。
これが七百五十年の時を超えて、御本仏が教えてくださった「変毒為薬」しゆく信力・行力なのである。
わが人生の勝負
人材育成の夏、私も未来部の友と一緒に学び鍛えた思い出は尽きない。
一九八二年(昭和五十七年)の八月には、宮城県で未来部員のみが出演する「平和希望祭」が行われた。
熱暑の中、東北の人材城の宝たる「未来からの使者」たち四千人と、心一つに楽しく歌い、舞った光景が、一人ひとりの輝く笑顔とともによみがえる。
私は、皆の熱演に大喝采を送りつつ、申し上げた。
――諸君が二十一世紀の晴れ舞台の社会で、世界で、平和のために、雄々しく、そして凜々しく戦う姿を見定めていくことが、私の人生の勝負なのです。そう考えれば、私の苦労などは、何でもない、と。
その通りに、立派に成長した、この未来部の友たちが核となって、未曽有の東日本大震災からの復興にも奔走し、今も勇敢に献身してくれている。
希望の「未来」は、突然、訪れるものではない。
今この時を生き抜く「一念」の積み重ねである。
ゆえに、目の前の「一人」を誠実に励ますことだ。そして、皆で力を合わせ、「今日」も「明日」もと関わり、共に前進し続けることだ。その持続の中でこそ、壮大なる未来が創られていくのではないだろうか。
共戦譜を堂々と
「正しい人生とは何か」
七十六年前(一九四七年)の八月、恩師・戸田城聖先生と初めてお会いした折、十九歳の私が発した質問である。
先生は明快に答えてくださった。
「正しい人生とは何かと考えるのも良い。しかし、考える間に日蓮大聖人の哲学を実践してごらんなさい。青年じゃないか。必ずいつか、自然に自分が正しい人生を歩んでいることを発見するでしょう」
本当に、先生が言われた通りであった。
妙法と共に、師匠と共に、同志と共に、学会と共に、歩み抜いてきた、この「正しい人生」の道を、満腔の報恩感謝の心で留めようと筆を執ったのが小説『人間革命』『新・人間革命』である。
長野の地で『新・人間革命』を起稿したのは、三十年前(一九九三年)の八月六日。広島に、人類史上初めて原爆が投下された日を選び、「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない」との一節から書き起こした。
私と同じ心で、民衆の幸福と恒久平和のために、広宣流布という未聞の聖業に尽くし抜いてくれている、日本はじめ世界中の地涌の友との「人間革命」の共戦譜こそ、大聖人が御照覧の「未来までのものがたり(物語)」(新1477・全1086)なりと、全三十巻を完結させたのである。
「創価三代の師弟の魂」を受け継ぐ若人とは、この書を通し、いつでも、どこでも、未来永遠に対話が続けられると確信する。

君たちは世界の希望の宝!――アメリカの未来部や創価家族と共に(1996年6月、フロリダで)
歴史が必ず証明
思えば、釈尊は世界最高峰のヒマラヤの峰を仰ぎ、そして、日蓮大聖人は世界最大の太平洋の大海原を望みながら、若き生命を鍛え抜かれた。
今、私たちには、伸びゆく未来部の友へ贈る、宇宙第一の民衆仏法の太陽と、民衆凱歌の地涌の大地があることを、無上の誇りとし、無限の希望としたい。
かつて恩師は、批判の嵐の中、「百年後、二百年後のために、今、戦うのだ」と言われた。たとえ今は理解する者がいなくとも、その正しさを歴史が必ず証明すると悠然とされていた。
あのゴルバチョフ氏とライサ夫人との語らいの中で、この言葉を紹介すると、ご夫妻がにっこりと笑顔で頷かれたことも懐かしい。
さあ今再び、未来を開く新たなチャレンジの時だ。 一人と会い、一人と語り、徹底して一人と心を結ぶのだ。後継の人材を育てていこう。「未来の勝利は今にあり」との確信で!
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