
春近し。紅梅が陽光を浴びて輝き、希望の季節の到来を告げるよう。花の宝冠の上には、メジロが凜々しく(池田先生撮影。今月20日、都内で)
「立正安世界」は我らの大誓願
先日(十三日)、東北の福島県、宮城県を中心に起こった地震の被災にあらためて心よりお見舞いを申し上げます。
深夜の激しい揺れに、どれほど驚き、不安にかられたことでしょうか。
その中で即座に連携を取り合い、励まし合って乗り越えゆかれる、わが東北家族の金剛不壊の団結に、私は合掌します。
大雪の北海道にも、ご無事でと祈っています。
御本仏・日蓮大聖人は、「立正安国論」をはじめ随所で国土や世の「安穏」を願うお心を示されています。災害や疫病等が絶えない濁世だからこそ、全民衆の苦悩に同苦され、一歩も退かず、「立正安国」を師子吼する大法戦を貫徹されたのです。
「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書一五五八ページ)
御聖誕八百年の今、このお心を継ぐ我ら創価の師弟は、「国土安穏」「民衆安穏」「人類安穏」のため、「立正安国」「立正安世界」の祈りと行動を、いやまして強くしていきたい。
一人ひとりが「元初の太陽」の輝きを!
我らの先師・牧口常三郎先生より十歳年長で、ほぼ同時代を戦い生きたインドの詩聖タゴールは高らかに謳った。
「太陽の輝きは人間の勇気の中でかがやく――陽の光はこの世のすべての闇を追い払う」
太陽は休みなく燃え続ける。そのエネルギーは中心部で生まれ、百万年から一千万年にもわたって、瞬時も止まることなく外へ向かって進み、満を持して地球上へ届くという。それが、惜しみなく万物を照らし、育てる根源の力となるのだ。
この太陽を意味する「日」を御名に戴かれた御本仏が、日蓮大聖人であられる。
大聖人は徹底して一人に寄り添い、励ましの陽光を送られた。そして、一人ひとりの生命から、いかなる不幸の闇も晴らしゆく元初の太陽を昇らせてくださった。
この大聖人のお振る舞いを、今、世界の学識者たちが注目する。
フランス語版「御書」の総合監修を務めてくださったデニス・ジラ博士は、大聖人の「こまやかな配慮と励まし」に感嘆され、生命と生命を結ぶ真実の「対話」の模範を見出されている。
スペイン語版「御書」の総合監修者のカルロス・ルビオ博士も、大聖人の「社会的変革への行動と思想」「人間的温かさ」などを、「緊急を要する世界的諸問題を抱える今日」の手本とされる。
「絶望」を「希望」に変える励まし!
「宿命」を「使命」に変える祈り!
「悲哀」を「歓喜」に変える連帯!
この太陽の仏法の大光を、たゆまず普く地球社会へ広げてきたのが、創価の師弟の勇気なのだ。
「いざ往かん!」

故郷の水面懐かし――多摩川に架かる丸子橋を東京・大田区側から望む(橋は2000年に改修されている)。川の対岸は神奈川・川崎市である(池田先生撮影。1990年12月、東京・大田区内で)
いざ往かん
月氏の果まで
妙法を
拡むる旅に
心勇みて
立宗七百年の一九五二年(昭和二十七年)一月、戸田城聖先生が詠まれた忘れ得ぬ和歌である。
“アジアの民に日を”との願業を、先生は私たちに常々語られた。
アジアの平和、そして民衆の安穏――それは、恩師の悲願であった。
「仏法西還」の原理が示された「諫暁八幡抄」を拝し、断じて妙法流布をと訴えられた。
「諫暁八幡抄」には、妙法の末法流布について、こう記されている。
「今は已に時いたりぬ」「いかでか弘通せざらむ」(御書五八五ページ)
時は今だ! 今こそ、広宣流布の大闘争に立ち上がるのだ!
私は、東洋へ、世界へ、いざ往かんとの師匠の大情熱を胸いっぱいに吸い込み、打って出た。それが「二月闘争」である。
わが本格的な広布前進の第一歩は、蒲田支部という地元の組織からであった。壁を破り、それまでの倍増ともいうべき一カ月の弘教「二百一世帯」を成し遂げたのだ。
私自身は最初から二百世帯を目標と決めていたが、支部の皆さんとまず目指したのは、当時の組織の最小単位「組」として二世帯の折伏であった。
それは、一人ひとりの同志にとって、他人事のような遠い目標ではなく、自分自身が挑む誓願となった。皆が師への報恩の心で「一人立った」のである。
具体的には、「この人に語ろう」「あの友に会おう」「縁した一人を励まそう」と、勇気を奮って祈り動いていった。
東京の大田区を地盤として、近隣の目黒、品川にも、川崎などにも駆けた。秋田など遠く離れた地方で、敢然と弘教に挑戦した草分けの友もいる。
真心が通じず悪口されても、互いに「よく頑張った」「信心の苦労は、全て功徳に変わるからね」「また一緒に前進しようよ」と声を掛け合った。
皆が破った壁は、自分には無理だ、できなくても仕方がないと限界をつくって諦めていた、自らの心の壁といってよい。
そして走り抜いた二月の末、各地区、各組からの報告が終わろうとしたその時、「もう一世帯」の弘教が実った! と喜び勇んで飛び込んで来られたのは、婦人部の方である。
それが実に二百一世帯目となった。今も変わらぬ、太陽の婦人部の真剣さと執念の結実である。
この勢いが、冬から春への躍動のリズムそのままに、三月の連続勝利の波をつくったのだ。
無数の縁を広げ
私が、恩師の分身として初のアジアへの旅に出発したのは、今から六十年前(一九六一年)のことである。あの二月闘争から十年目であった。
仏教発祥のインドにも同志はまだいなかった。悠久の大地に題目を染み込ませる思いで、妙法の種を蒔き、時を創った。やがて、そこから澎湃と人材は立った。今や二十五万人を超える地涌の菩薩の大連帯である。
昨年、インドではコロナ禍にもかかわらず、青年を中心に約二万五千人の新会員が誕生したとの頼もしい報告も伺った。
この拡大の原動力は何か――。リーダーたちは異口同音に語る。
「メンバー一人ひとりの成長に心を砕いたことです」と。
一人が立ち上がる。そして、その一人が新たな一人と共に立ち上がっていく。広宣流布とは、どこまでも地道な戦いだ。
二月闘争の精神は、今も不滅である。
一対一の絆。これが、最も大切なのである。
目の前の一人の背後には、家族や友人がいる。無数の縁が広がっている。一人を誠実に励まし、希望を送ることは、私たちがまだ知らない誰かをも勇気づけていく大いなる因となるのだ。
恩師は断言された。
「学会は、どんどん大きくなるだろうが、一人を大切にする心を忘れないかぎり、盤石だよ」
この心を胸に、一人また一人と忍耐強くつながりゆく挑戦の中に、立正安国の大河もあるのだ。
師弟――創価の源流に直結して勝ち進め

SGI発足25周年を記念する集いで。“広布に進む最高の人生を”と、「仏法西還」の使命に先駆しゆく友を励ます(2000年2月、香港で)
力の源はどこに
御書には「源渇けば流尽くる」(一二三〇ページ)とある。淵源を忘れるな、との厳誡である。
学会においての「源」――それは「師弟」だ。
師の心を学び、同じ心で立ち上がることだ。
「師の構想をどうすれば具現化できるか」との一念で、未来につながる一歩を踏み出すことだ。
恩師は語られた。
「広宣流布は大文化運動だ。立正安国だよ」
師の心を継ぎ、私が民主音楽協会(民音)と東洋哲学研究所の創立を構想したのも、六十年前のアジア初訪問の折である。
香港、セイロン(現・スリランカ)、インド、ビルマ(現・ミャンマー)、タイ、カンボジア……と旅する中で、ある着想が浮かんだ。
各国・各地域の文化や思想を学ぼう! 心を結ぶ交流を通して友情を育もう! その文化運動の展望は、平和への希望を紡ぐロマンとなった。
今や東洋哲学研究所の「法華経――平和と共生のメッセージ」展は、十七カ国・地域を巡り、約九十万人が観賞した。
民音は百十カ国に及ぶ多くの音楽家や団体と、深い信頼を広げている。
こうした構想の源となったのは、恩師にご薫陶いただいた「戸田大学」の十年にほかならない。
「戸田大学」の不二の学びは今、わが魂魄を留めた小説『新・人間革命』を通し、“二十一世紀の山本伸一”たちに受け継がれている。
師と心を合わせれば、勇気は漲る。智慧が湧く。力も無限に出てくる。
「師匠ならば、どうされるか」――この師弟の命の対話がある限り、揺るがない。惑わないのだ。
創価の「平和」「文化」「教育」の大河は、いよいよ地球民族の融合へ人類の精神の大地を潤し、価値創造の大海原へ流れ通っていくに違いない。
この仏法の人間主義の大潮流を確かなものにする、大事な十年のスタートの時なりと、私は一重深く強盛に祈っている。
幸の春を告げよ
思えば二月から三月は、大聖人が、足かけ四年にわたる竜の口の法難と佐渡流罪の大難を耐え忍ばれ、鎌倉へ凱旋を果たされた時季でもある。
「日来の災・月来の難」「今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり」(御書五〇九ページ)と仰せになられるほどの極限の大迫害をも勝ち越えたお姿を、末法万年に示し残してくださったのだ。
大聖人は、この大難の中、不退の信心を貫いた女性の門下を、「あなたの信心が、どれほど素晴らしいか、その素晴らしさが現れるために、私は佐渡に流されたのでしょう」(同一二二二ページ、趣意)とまで讃えておられる。
この御本仏の真正の門下として、我らもあらゆる難に屈しなかった。
そして、いよいよ一切を勝ち切り、全民衆を照らしゆく「太陽の仏法」の凱歌の春を、天下に告げようではないか!
幸の春
宝友に香れや
梅の花
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