恩師の生誕百二十周年​​ 2020年02月07日


いざ往かん 師弟共戦の広布旅
青年の歌声こそ、希望の暁鐘である。
いかなる吹雪の闇夜も越え、新たな黎明を決然と告げゆく響きなのだ。
この一月、欧州の青年たちが届けてくれた、素晴らしい歌声を聴いた。
ドイツのフランクフルトに三十五カ国の代表が集った欧州広布サミットの際、男女青年部の友が披露した新しい愛唱歌「トーチベアラーズ(松明を持つ人)」である。
「私たちは正義の松明を持つ人 正義のために立つ」「勇気の松明を持つ人 光り輝くために戦う」「自由の松明を持つ人 全人類のために」と、誇り高く謳われている。
作詞に当たり、青年たちは、恩師・戸田城聖先生が法難を戦い越える中で作られた「同志の歌」を学び合ったという。
「旗持つ若人」よ「競うて来たれ」という恩師の熱願に呼応して、一人ひとりが「仏法の人間主義の旗」「広布大願の松明」を持つ若人たらんとの決意を込めたのだ。
その心を戸田先生に届ける思いで、私は何度も何度も聴いた。
一九〇〇年(明治三十三年)に戸田先生が誕生されてより、この二月十一日で満百二十年――。
先生が呼び出された地涌の陣列は、今、地球を大きく包み始めた。
恩師が願ってやまなかった人類史の平和と人道の黎明を、若き創価の世界市民の歌声が告げてくれているのである。

足元から突破口

燃えるような紅梅に、メジロも暖を取るかのよう。冬を耐えて、春近し(池田先生撮影、1月30日、都内で)

「いざ往かん
月氏の果まで
妙法を
拡むる旅に
心勇みて」
この和歌を、戸田先生が詠まれたのは、一九五二年(昭和二十七年)の一月であった。
さらに、「地球民族主義」という先見を提唱されたのは、翌二月。男女合同の青年部研究発表会の席上である。
朝鮮戦争(韓国戦争)の痛ましい悲劇が打ち続く中で、アジアと世界の民衆の苦悩を、いかに打開するか、妙法流布と人類共生の未来を見つめて、先生の頭脳はフル回転していたのだ。
青年に遠大なビジョンを示されながら、日々、先生が精魂を注がれたのは、目の前の一人を救うことであった。
つまり一対一の励ましであり、折伏である。
御本仏は――
「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦」(御書五八七ページ)
「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦」(同七五八ページ)と仰せである。
この大聖人のお心を体し、現実に渦巻く病苦や経済苦、家庭不和など、あらゆる庶民の苦悩に、先生は真っ向から挑まれた。人類の「宿命転換」も、一人の「人間革命」から始まるからだ。
当時、先生は弟子たちに語られた。
「みなさんは、幸福になりなさい」
そして「信心と折伏をもって、戸田の一門として通しなさい」と。
しかし、折伏は難事中の難事である。
先生が願業とされた七十五万世帯への道のりはあまりにも遠かった。
直弟子として二十四歳の私は、ただただ報恩の一念で一人立った。
宿縁深き地元の蒲田支部の同志と、拡大の突破口を開く「二月闘争」を開始したのである。
伝統の二月 まず一人立とう 一人を励まそう

心のギア合わせ
蒲田支部の私たちは、祈りに祈った。歩きに歩いた。語りに語った。
学会歌を一緒に口ずさみながら、もう一人、あと一軒と、対話に向かったことも思い出深い。
御義口伝には、「妙法蓮華経」の五字を人間の身に配して、「足は経なり」(同七一六ページ)と明かされている。法のため、友のために「自ら動く」こと、「足を運ぶ」ことから、妙法の福徳は大きく広がる。
わが同志は、日々の生活を必死にやりくりしながら、勝利の実証を示さんと奮闘した。無理解な悪口を浴びても、相手の幸福を祈り、仏縁を忍耐強く育み広げていった。
何とけなげな、何と尊い方々であるか。
折伏ができずに悩む。それは、まさに「仏の悩み」そのものではないか。
「いまだこりず候」(同一〇五六ページ)と、皆で励まし合った。一日また一日、勇気と誠実の対話に挑み抜き、“戸田先生に勝利の報告を!”と走り切った。そして当時、どの支部も破れなかった壁を破り、一カ月で二百一世帯という弘教を成し遂げたのである。
師匠の大願に、弟子が「心のギア」をがっちりとかみ合わせ、異体同心で戦えば、計り知れない仏の力と功徳が出る。必ず勝利できるのだ。
この信心の極意を全学会に示したのが、二月闘争であるといってよい。
激戦の中、私は、一生涯、いな永遠に、共戦の友の人生の勝利を祈り続けることを誓った。
その方々の地涌の家族と眷属が、日本はもとよりアメリカをはじめ世界へ広がり、広布後継の道を歩まれていることは、何よりの喜びである。
アメリカでは先月、フロリダ、ニューヨーク、ロサンゼルスで婦人部の研修会や幹部会が明るく賑やかに行われた。その笑顔満開の映像を、妻と共に嬉しく拝見した。
そこには、結成四十五周年を迎えた「SGI」発足の原点の地であるグアムからも、代表が勇んで参加されていた。懐かしい歴代の全米婦人部長と女子部長たちも、元気に集われていた。
「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(同一一三五ページ)の素晴らしいスクラムに、妻は拍手を送り続けていた。

西暦2000年、恩師生誕100周年の2月に訪れた関西で、若き友に慈愛の眼差しを注ぐ(神戸市内で)

二人の「巌窟王」
二月闘争の渦中に恩師が教えてくださった「地球民族主義」は、私の対話を貫く信条である。
それは、人種差別撤廃へ生涯を懸けたネルソン・マンデラ氏との語らいでも共鳴を広げた。
思えば、この“人権の巌窟王”が獄窓二十七年半もの苦難を耐え抜き、出獄されたのは、三十年前(一九九〇年)の二月十一日である。
奇しくも戸田先生の生誕九十周年の日であり、先生の小説『人間革命』で、自らをモデルとした作中人物を“妙法の巌窟王”の意義から「巌九十翁」と命名されたことが、私には偲ばれた。
この年の秋、初来日したマンデラ氏を青年たちと歓迎したことは、忘れ得ぬ思い出である。五年後、新生・南アフリカ共和国の大統領として再び来日した折も、再会を喜び合った。
マンデラ氏は、獄中で看守など何人もの迫害者を対話によって友人に変えながら、「反アパルトヘイト」(人種差別撤廃)の勝利へ、たゆまぬ波を起こしていかれた。
その力の源泉は、どこにあったのか。
どんな人間にも「けっして消えない良識の核があるということ、心に触れる何かがあれば、その核が人間を変えてくれるものだ」――この人間信頼の確信がカギとなったと氏は回想されている。
法華経に説かれる不軽菩薩が「人を敬う」振る舞いに徹し抜いたのも、「万人に仏性あり」との揺るがぬ大確信に立っていたからである。
今、不軽菩薩さながら創価の若人が、生命の尊厳と平等の連帯を、地球社会に組み広げている。
戸田先生とご一緒に、マンデラ氏も、巌窟王の笑みで見守っておられるように思えてならない。

地球に何か善を
中国の周恩来総理をはじめ世界の指導者と対話を重ねる中で、「ああ戸田先生と同世代の方だ」と不思議な感慨を覚えたことが、幾たびかある。
アメリカの大実業家・アーマンド・ハマー氏もそうであった。
ハマー氏と親しくお会いしたのは、マンデラ氏釈放のニュースに沸く一九九〇年二月、ロサンゼルスであった。当時、氏は九十一歳であられた。
東西冷戦終結へ道筋をつくったレーガン=ゴルバチョフの米ソ首脳会談を実現させた、立役者の一人である。
この首脳会談の舞台裏については、四カ月後、創価大学にお迎えした折、語ってくださった。
氏の行動を支えてきたのは、「この豊かな地球に自分の力でさらに何かを加え、すべての人々とともに、人生の“美しさ”と“歓び”を分かち合いたい」という願いだ。
ハマー氏ら、私が縁を結んだ恩師と同世代の巨人たちが最晩年、揃って未来への希望を託してくださったのが、わが創価学会であり、SGIなのである。

不二の命で前進
恩師と拝した忘れ得ぬ御聖訓に、「仏の寿命・百二十まで世にましますべかりしが八十にして入滅し、残る所の四十年の寿命を留め置きて我等に与へ給ふ恩」(御書九三八ページ)とある。
学会は恩師が“命より大切な組織”と留め遺された仏勅の教団である。生誕百二十年の師の御命は、創価の和合僧に厳然と脈打っている。不二の我らが大法弘通慈折広宣流布の大願へ、異体同心の団結で進む中で、無限の智慧と力が満々と漲りわたるのだ。
「伝統の二月」、寒風にも凜然と先駆けの梅花がほころび始めた。
さあ、誓いの友と勇気に燃えて前進だ。妙法の大功力を社会に世界に薫らせ、歓喜の「春の曲」を奏でようではないか!