広布誓願の大生命​​ 2019年6月20日

合言葉は「前進また前進!」
「地涌」とは希望を点す大光なり
勇者たれ!── 道を開く力は勇気

はじめに、この18日夜、新潟・山形両県など各地を襲った激しい地震に際し、心よりお見舞い申し上げます。
夜中の突然の災難に、どれほど恐ろしい思いをされたことでしょう。一日も早く、平穏な生活が戻るよう、深く祈らずにいられません。
日蓮大聖人は、佐渡の地で、「わざは(禍)ひも転じて幸となるべし」(御書1124ページ)との大確信を示されました。
新潟出身の牧口常三郎先生も、苦難の中、「変毒為薬(へんどくいやく)」の妙法の功力を、何度もご家族に強調されていました。
一番大変な時、“困難を乗り越える力”を厳然と開いていけるのが私たちの信心です。
私も妻も、一段と「立正安国」の誓いを強くし、皆様の無事安穏を強盛に祈念してまいります。

創価家族の底力
梅雨の晴れ間が広がった先週13日、街路樹の緑もまぶしい都心の街を車で回った。
ふと見上げると、空の「青」がビルの窓に映り込んでいた。天空に青、地上にも青。
ああ青春の色、希望の色だ──私は思わずカメラを向けた。
 希望は人生の宝なり。
 希望は社会の光なり。
 希望は勝利の力なり。
ドイツの大詩人シラーは「希望」を歌った。
「希望は人に生をあたへ」「まばゆい光りで青年を鼓舞(こぶ)し/老年とともに埋(う)もれもしない」
この詩歌さながらに、民衆の心に希望の灯を明々と点し続けているのが、創価家族である。
男女青年部は、まさにまばゆい光を放ち、尊き多宝の父母たちも青春の誓いのままに、奮闘の汗を流してくれている。
広宣流布の大誓願に生き抜く地涌の菩薩の群像にこそ、決して埋もれることのない、どこまでも燃え広がりゆく希望の炎があるのだ。

清き蓮華の如く
各地から蓮華の花便りが届く季節となった。
法華経の会座に大地より躍り出でた地涌の菩薩は「如蓮華在水(にょれんげざいすい)」、すなわち最も深い泥水の中でも最も清らかな花を咲かせる蓮華に譬えられる。
苦悩渦巻く現実生活にあって、仕事で悪戦苦闘する友も、経済苦に挑む友もいる。
病と闘う友も、家族を失った友もいる。子育てに追われる友も、介護に尽くす友もいる。
皆、それぞれに言い知れぬ悩みを抱え、多忙を極める中で、それでも、広宣流布のため、立正安国のためにと労を惜しまず奔走する日々である。
牧口先生が大切にしておられた「御義口伝」の一節がある。戦時中の弾圧で押収された御書に線が引かれていた。
それは、すなわち「煩悩(ぼんのう)の淤泥(おでい)の中に真如(しんにょ)の仏あり我等衆生の事なり」(740ページ)と。
泥沼の如き社会に、あえて打って出る立正安国の大闘争こそ、自他共に「真如の仏」の大生命を馥郁(ふくいく)と開花させゆく希望の道なのである。

共戦の弟子の道
全ては、日蓮大聖人がお見通しであられる。
門下の四条金吾と日眼女(にちげんにょ)の夫妻を「陰徳(いんとく)あれば陽報(ようほう)あり」(御書1180ページ)と賞讃されたように冥(みょう)の照覧(しょうらん)は絶対である。
日本中、世界中の創価の陣列には、この四条金吾夫妻を彷彿とさせる陰徳陽報の同志がいる。
私は、その尊き「負けじ魂」の宝友たちの顔を心に浮かべつつ、金吾夫妻への御聖訓を拝するのが常である。

大聖人は言われた。
「返す返す今に忘れぬ事は頸(くび)切れんとせし時殿はとも(供)して馬の口に付きて・な(泣)きかな(悲)しみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん」(同1173ページ)
竜の口の法難で馬に乗せられて処刑場に向かう際に、馬の口に取りすがって泣き悲しんでくれたことを、永遠に忘れない──との仰せである。
その上で、大聖人は、世間が過ごしにくいなどと嘆いて、人に聞かせてはならないと諭され、さらなる仏道修行へと導く大激励をされている。
「中務三郎左衛門尉(なかつかさのさぶろうさえもんのじょう)は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ね(根)もよ(吉)かりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」「心の財をつませ給うべし」(同ページ)等々──。
皆、凡夫であるから、愚痴(ぐち)をこぼす時もある。感情に流されたり、つい調子に乗って失敗したりする場合もある。
 だからこそ、御本仏は何としても愛弟子を最後まで勝ち切らせたいと、油断や慢心を厳しく細やかに戒めておられる。
 「人の振舞(ふるまい)」を大事にし、いやまして「心の財(たから)」を積むよう御指南してくださっているのだ。
わが門下よ、師弟不二の「共戦」の誉れの上に、いよいよ師弟不二の「勝利」を満天下に示し切っていくのだ、と。
どこまでも弟子の勝利を願い信じる大慈大悲が拝されてならない。

破邪の師子吼を
あの「大阪の戦い」の渦中、破竹の勢いで広布拡大を成し遂げた関西の同志に、私は波瀾万丈(はらんばんじょう)のナポレオンの人生を通して語った。
妙法流布に生き抜く、我らの「前進また前進」こそが人類の平和を築きゆく希望なのだ、と。
人間として最も崇高な使命に目覚めた民衆の大前進は、「魔競(まおそ)はずは正法と知るべからず」(同1087ページ)との御金言に寸分違わず、三障四魔の嵐を呼び起こした。
この時、関西入りされた恩師・戸田城聖先生は、大阪・中之島の中央公会堂で師子吼された。
──いかに学会を憎(にく)もうと、陥(おとしい)れようと、誰人が騒(さわ)ごうと、我らは師子王だ。野良犬を恐れて何としようぞ!──と。
魔を断ち切る、正義と大確信の叫び、邪悪を許さぬ烈火の怒り……恩師の声が今も蘇る。同志がどんなに安堵し、希望と勇気を抱いたことか。
これが、広布の陣頭指揮を執る大将軍の気概であらねばならない。

難所を越えゆけ
本年はナポレオン誕生250年──。
ナポレオンの“アルプス越え”は世界史上に名高いが、日本では一ノ谷(いちのたに)の合戦における源義経の“鵯越(ひよどりごえ)”の奇襲戦が思い浮かぶ。六甲山地に抱かれた、現在の兵庫県神戸市域が舞台である。
“あんな場所から攻めるのは不可能”と誰もが怖じ気づく難所。しかし義経は鹿が通ると聞いて言った。ならば馬が通れぬはずはない、と。
道はある。自分が先陣を切ろう!──この決断と率先の行動が突破口を開いたのだ。
「勇気があれば、道はいつでも拓ける」とは、アメリカの哲人エマソンがナポレオンの人生から導き出した教訓である。
勝つと一念を定めた人間ほど強いものはない。
我らには「なにの兵法よりも法華経の兵法を」(御書1192ページ)と教えられた常勝不敗の将軍学がある。かつて、この御指南を胸に、兵庫の播磨(はりま)・加古川(かこがわ)へ、姫路(ひめじ)、西宮(にしのみや)等へと駆けたことも忘れられない。恐れなき勇者の信心に、勝利への勢いは必ず加速していくのだ。

異体同心で勝つ
戸田先生が逝去された翌年──つまり60年前の6月、私は“大関西の電源地なり”と信頼してやまない尼崎にいた。
関西の総支部幹部会に出席し、恩師なき学会への心ない中傷が続く中、歯を食いしばって戦ってきた同志に、戸田先生からの記別を伝えた。
「関西は広宣流布の牙城(がじょう)である。錦州城(きんしゅうじょう)だ」
 いついかなる時にも、私には常勝の同志がいる。私と共に逆境をはね返してきた、難攻不落(なんこうふらく)の「金の城」の戦友がいる。
「立正安国」という大理想への我らの建設は、誰もが波濤(はろう)を越えて、自他共の勝利と幸福へ至る高き橋を築く戦いだ。
私は51年前、明石・淡路、また北兵庫の豊岡の友のもとへ飛び込んでいった。
「広宣流布に生きる人生が、どれほど素晴らしく、偉大な名誉であり、福運であるか」
この大歓喜を全同志が味わってほしかった。
 
そのために、「自他彼此(じたひし)の心なく水魚(すいぎょ)の思を成して」(同1337ページ)進むのだ。「異体同心」で勝ちまくるのだ! これが我らの大兵庫であり、不二の常勝関西である。

永遠の功徳の花
1990年の6月、懐かしい東兵庫を走り、丹波の関西墓園を初訪問した折、道すがら、野の花を摘んで花束をつくり、歓迎してくれた高等部の乙女がいた。
私は妻と感謝を込め、
 「れんげ草
   香り千年
    功徳千年
    父に母に友に
      よろしく」
と記し、贈った。
「れんげ草」には、「因果倶時(いんがぐじ)」の蓮華の意義を留めたのである。
今、立派な女性リーダーとして、ご家族、地域の友と元気に功徳の花を咲かせている様子を、先日もうれしく伺った。
妙法は「末法一万年の衆生まで成仏せしむる」(同720ページ)究極の希望の極理である。
我らは「前進また前進」「希望また希望」を合言葉に、威風も堂々と舞いゆこう!
一切を断固と勝ち切って、「人間革命」即「立正安国」の希望の物語を世界へ、未来へ、光らせゆこうではないか!