中部 「師弟の道」を共々に!
21年07月27日


堅塁の象徴「中部旗」。中央には3県の団結を表す中部の頭文字「C」と、「堅塁」の金文字が輝く


中部記念幹部会の席上、池田先生が中部旗を授与。この不滅の原点「中部の日」から45周年を刻む(1976年7月27日、名古屋文化会館<当時>で)
池田先生と各方面の同志の絆を紹介する「不二の旅」。最終回となる第16回の舞台は、きょう7月27日を師弟の原点とする中部。1976年7月27日、池田先生は中部旗を授与し、2年後の78年7月27日、中部歌「この道の歌」が発表された。中部の友への指針と共に掲載する。


堅塁・中部には、強き「祈り」がある。強き「行動」がある。この「祈り」と「行動」で、わが大中部は晴れ晴れと、また堂々と、勝ちに勝った――第17回中部総会で、同志をたたえる池田先生ご夫妻(1998年11月、中部池田記念講堂で)


第1回愛知県総会。「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」との御金言のままに、広宣の大道を堂々と進んでほしいと望んだ(1983年4月、中部文化会館<当時>で)


池田先生が三重の地でしたためた「道」の書。先生は「道が大事だ。真っ直ぐに進むんだ。道を間違えては駄目だ」と(1985年10月)


〽先生 先生 われらの先生――宗門事件の嵐の中、「今日も元気で」を高らかに歌った三重文化合唱祭。先生はピアノの演奏で応えた(1978年4月、三重研修道場で)


岐阜池田講堂(現・岐阜平和講堂)で行われた第16回本部幹部会。“勇気をもち、朗らかに、そして団結の信心で、この大切な一生を飾ってほしい”と訴えた(1989年4月)
中部の友に贈った指針
「中部」と聞くと、私の胸は強く高鳴る。
「中部」を思うと、私の心は熱く燃える。
わが大中部には、何ものをも恐れぬ「破邪顕正」の魂がある。
わが大中部には、絶対に信じ合える「異体同心」の同志がいる。
わが大中部こそ、広宣流布のため、私と共に断固として勝ち進みゆく「師弟勝利」の堅塁城なのだ。



「この道」は、君と私が誇り高く決めた道だ。
信念の道であり、正義の道であり、共戦の道だ。
求道の道であり、明朗の道であり、和楽の道だ。
何があろうと、我らは立ち止まらない。振り返らない。ひとたび決めた「この道」を、ひとすじに、前へ、また前へ、歩み通していくのみである。



法華経には、仏の異名をば、「知道者」(道を知る人)、「開道者」(道を開く人)、「説道者」(道を説く人)と説かれる。我ら中部の「この道」こそ、仏の真髄の道であり、妙法の極致の道なのである。
そのたゆみなき一歩また一歩の積み重ねのなかで、わが生命それ自体が金剛不壊の堅塁と聳え立つのだ。



「この道」は、師弟を根本に異体を同心とする道だ。
同志の道であり、友情の道であり、常楽の道だ。
師弟の道であり、不二の道であり、勝利の道だ。
堅塁の堅塁たる所以は、何か。それは、絶対の同志の信頼があり、金城鉄壁の団結があるゆえである。



最も大切な中部の真の愛弟子たちよ!
いつも、そして、いつまでも、どこまでも――
「この道」を悠然と!
「この道」を愉快に!
「この道」を共々に!
一生涯、永遠に歩み抜いていこう!