
奈良支部結成20周年を記念する自由勤行会で指導。苦難の冬を勝ち越えた喜びを胸に、会場の全員で「春が来た」を合唱した(1981年11月、明日香文化会館で)

福井の同志との記念撮影会。終了後、郷土の歌と踊りを観賞し、「赫々と 福井の友の 功徳舞」との句を詠み贈った(1972年3月、敦賀市立体育館で)

さあ出陣! 新たな広宣流布の峰へ!――本部幹部会の席上、「大関西の一大電源地」である堺総県の友から贈られた「師弟勝利の銅鑼」を打ち鳴らす(2006年3月、東京牧口記念会館で)

1985年1月、西大阪文化会館(現・住之江文化会館)を訪れ、地元の代表約400人を激励。先生は“皆が勝利の実証を示す人生であってほしい。その原動力が信心である”と訴えた

第13回関西総会などでの激励を終え、新大阪駅のホームで(1991年10月)。“常勝関西の玄関口”との誇りも高く、新大阪総県の友は「勇猛精進の信心」に燃え立つ

守口門真文化会館(現・守口文化会館)の落成5周年記念の集いに出席(1983年3月)。この折に贈られた「正義によって立て! 汝の力二倍せん」との箴言を胸に、常勝大阪総県の友は走る
関西の友に贈った指針
東京が広宣流布の「頭脳」であるならば、関西は「心臓部」である。
そう私は確信しています。
常勝関西こそ、永遠に、わが創価学会の精神の根幹である「信行学」の模範となって進みゆく使命があるのです。
そして、常勝関西こそ、広宣流布の先頭を走り、あらゆる戦いを完璧に勝ち抜くことが運命づけられているのです。そのことを関西の皆さんは、強く強く認識していただきたい。
◇
私は28歳の時(昭和31年)、“大阪の戦い”の指揮を執った。そして、絶対に勝てないと言われた劣勢をはね返し、大勝利の金字塔を打ち立てた。
全国的にも大きな注目を集め、ある新聞は「“まさか”が実現」と大々的に報道したほどである。
あの時、関西中が燃えた。日本中が驚嘆した。
私が厳然たる勝利の歴史をつくり、創価学会の本当の路線が出発した地こそ、関西なのである。私は、関西を信じている。関西の同志の皆さん、頼みます!
◇
私がいちばん信頼している関西です。関西で牢獄に入ったのですから。関西で戸田先生をお守りしたのですから。関西で不敗の創価学会をつくったのですから。
皆さんは、その大関西の責任と栄光をいちだんと誇り高く、明確に掲げていっていただきたい。
日本のために! 世界のために! 全同志のために! 関西がいれば大丈夫。関西がいれば何の心配もない――それが私の偽らざる気持ちなのです。
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