関東 恐れなき敢闘精神で威風も堂々と!
21年06月04日


1971年10月、埼玉・上尾市の上尾運動公園体育館で行われた記念撮影会。“大河の流れのような信仰を貫き、仲良く団結して前進を”と呼び掛けた

1985年9月、第1回千葉青年平和文化祭で出演者を激励。“偉大な千葉県を君たちの手で”と、限りない期待を寄せた(成田市体育館で)

「戦うべき時には断固戦う“誉れの信心”を」と訴えた第1回群馬県総会。総会に集った未来部の友にエールを送る(1991年8月、渋川平和会館<当時>で)

1982年2月、先生は6日間にわたる「厳寒の茨城指導」へ。鹿島会館(当時)でピアノを弾き、不屈の信心を貫く一人一人に希望の灯をともした

「成長、活躍をいつも祈っています」――栃木県の第1回「創価同窓の集い」に参加した友と記念のカメラに(1990年6月、栃木研修道場で)
関東の友に贈った指針
関東――その名を聞くと、私は何ともいえない「心強さ」を覚える。関東には、キラ星のごとく人材が輝いている。
関東が強くなれば、大東京も強くなる。関東が威光勢力を増すことは、日本全体、さらに全世界の広宣流布の威光勢力を増すことである。
関東こそ「創価の柱」であり、「学会の要」なのである。



この関東に、殉教の師・牧口先生は、特高警察の監視の目が光るなか、折伏、指導の歩みを運ばれた。「人生においては、率先して実行することが大切である」――これは、先生の一貫した信念であった。
さらに、不二の弟子たる戸田先生は、戦後の広宣流布の率先の第一歩を、この関東の座談会から始められたのである。
戸田先生は厳しく言われた。
「大勇猛心と大闘争心なくしては、広宣流布はできぬ!」
権威の命令でもない。要領でもない。指導者の不惜身命、死身弘法の行動によって道は開かれた。それが、学会の勝利を可能にしたのである。



どんな困難にぶつかっても、強く生きることだ。強いことは幸福である。そこに誇りが光る。
弱いのは、意気地なしである。人からも、ばかにされる。強く、強く生き抜くことだ。
今いるその場が、使命の舞台である。広布と人生の勝利のために、思いっきり、戦うことだ。そうでないと、自分が損をするからだ。
思いっきり戦えば、功徳も大きい。それが信心の世界、広宣流布の世界である。



皆さまは、御本尊をたもち、広宣流布を担っておられる。人間として最も尊い生き方である。恐れるものは何もない。
どうか、勇気を持ち、誇りを持って、どんな立場の人に対しても、創価の正義を、人間主義の哲学を、堂々と語り抜いていただきたい。