総東京㊥ 我が人生に勝利の万歳を
21年05月14日


池田先生の筆による東京の歌「ああ感激の同志あり」の扁額から(一部)。本陣を舞台に広布に走る地涌の友が無事安穏の日々であるよう、大東京が永遠なる勝利の都であるよう祈り願い、先生は歌詞を紡いだ。師の万感の期待に応えゆく、創価の凱歌の歴史を! 同歌を胸に響かせながら、感激の同志は異体同心の団結で不滅の歴史を築く


新宿の同志との記念撮影会。これが、1・15「新宿の日」の淵源となった(1972年1月15日、新宿区内で)


品川・目黒合同の創価ルネサンス文化音楽祭。威風堂々と学会歌を指揮(1991年11月、大田池田文化会館で)


「墨田の日」記念幹部会で、“難攻不落の「永遠の墨田」の構築を!”と呼び掛けた(1991年12月、墨田文化会館で)


1980年3月、落成直後の江東文化会館でピアノを演奏。後に贈った長編詩で、江東の友を“無名の広布の英雄”とたたえた


1985年3月、町田文化会館を訪問。代表幹部会で“町田の勝利が日本の夜明け”と語った


東大和文化会館(当時)を初訪問。村山圏(同)の幹部会に出席し、同志、運営役員らと記念撮影。励ましを重ねた(1983年1月)
総東京の友に贈った指針
大聖人は、ここ東京の天地で、御生涯の総仕上げをされた。
大聖人の御一代の弘法は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる。
妙法を掲げ、平和と安穏の社会を築き上げていくのが、私たちの戦いである。
東京は、永遠に「広宣流布の本陣」である。
本陣として、「立正安国」の大闘争を勝ち抜かねばならない使命と宿命がある。責任があり、名誉がある。

有名な『平家物語』には、源平の決戦に臨む、若き源義経の心意気が謳われている。
「戦いはひたすらただ攻めに攻めて勝つのが心地よいものだ」(『平家物語』11、杉本圭三郎訳注、講談社)と。
戦いは、強く攻め抜くことだ。全力を集中させてこそ勝利はある。戦いの根本姿勢は、徹して攻めることである。
この義経の心意気は、学会精神にも通じる。
「攻めに攻めて痛快に勝ちまくる」――私たちも、この心で進みたい。

妙法は、自身の生命の底から、最高の勇気、最強の生命力である「仏の生命」をわき立たせる。
仏が不幸になることはない。また、仏が敗北することもない。
どんな悪世でも、どんな環境でも、どんな苦難が襲いかかっても、断固として一切を「変毒為薬」することができる。
変毒為薬を可能にする“導火線”は、「信心」であり、「師弟の薫陶」であり、「同志の励まし」である。

大聖人は、大東京の団結の鑑であった池上兄弟へ仰せである。「たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい」(御書1088ページ、通解)
私たちも、この心で、あらゆる難を乗り越えて、広宣流布へ、まっしぐらに進みたい。
“これ以上ない”という最高の人生を、そして、「充実」と「価値」と「勝利」の、偉大にして朗らかな創価の道を、ともどもに、勇敢に進もう。