
目黒平和会館を訪問。目黒で過ごした宝の青春を振り返り、“私は1日を1カ月分にとの思いで戦ってきた”と述べた(1992年9月)77
第3代会長辞任後、初めて学会歌の指揮を。曲は「威風堂々の歌」。反転攻勢への誓いが一つに(1979年11月、豊島区巣鴨の東京戸田記念講堂で)

中野兄弟会と21世紀中野兄弟会の栄光の集いに出席。「立ち上がれ 日本一の 中野会」と詠み贈った(2004年9月、東京牧口記念会館で)

北区の栄光総会。“真剣な闘争を貫いた人が幸福者であり、勝利者である”と訴えた(1994年4月、東京牧口記念会館で)

足立青年平和文化祭で、先生ご夫妻が熱演をたたえる。設営など陰の戦いに徹する同志にも、全精魂を込めて励ましを(1987年9月、創価大学で)

1978年8月、東京支部長会で友を激励。東京の歌「ああ感激の同志あり」に託した思いを語った(荒川文化会館で)

人材を輩出しゆく本丸に――大田池田文化会館を先生ご夫妻が訪問し、求道の志あふれる友にエールを送る(1991年11月)

調布文化会館に立ち寄り、真心の激励を送る。「功徳と正義を示せ! ここから火の手を上げよ」と友を鼓舞した(1992年4月)
総東京の友に贈った指針
我らの東京!
我らの東京は
日本の広宣流布の
原点である。
東京の勝利が
日本国中の勝利だ。
いな
全世界の勝利へと
発信されていくであろう。
さあ 今日も
私は戦う。
我が同志である君も
一緒に戦おう!
我が人生の正義のために!
この世界に
正義はなくてはならない。
邪悪と卑劣な仮面の
権力者たちに
奪われてしまうからだ。
我らは
知性ある人生の
常勝将軍なのだ。
負けてたまるか!
「残念」という二字は
我らにはないのだ。
我らの同志は
どこへでも飛んでいく。
正義のために!
我らは
いかなる武器も必要ない。
「法華経に勝る兵法なし」を
知っているからだ。
君よ
健康で!
いつまでも健康で!
君がいることは
常に正義と
常に太陽が
輝いているからだ。
君の勝利は
私の勝利!
私の栄光は
君の栄光!
茨の道を
苦難の道を
断固として
勝ち乗り越えて
我が人生に
万歳を叫び飾ろう!
(長編詩「我らの東京 勝ち誇る同志」から抜粋)
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