北陸 広布の誓願に生きよ
21年04月05日


北陸の歌「ああ誓願の歌」の大合唱が轟いた「第1回北陸平和文化祭」。池田先生は友の奮闘を心からたたえ、その躍動の姿をカメラに収めた(1984年8月26日、金沢市の石川県西部緑地公園陸上競技場で)

富山創価学会結成16周年記念勤行会に出席。席上、「元初より/この日を待ちて/今ここに/富山の健児は/ついに立ちたり」と和歌を贈り、友を激励した(1976年11月14日、富山文化会館で)

1984年8月25日、五箇山の富山研修道場(当時)を訪問した池田先生。現在、跡地には先生が北陸の友に贈った長編詩「山河遥か 北国の詩」の歌碑が設置されている

池田先生が揮毫した「富山広布」。脇書には「五十一年十一月十四日」と。当時、先生は“広宣流布の福徳は後世永遠に光り輝く”と同志をたたえた

1982年9月、6年ぶりに池田先生が北陸を訪問。「北陸広布開拓25周年記念勤行会」には、第1次宗門事件を勝ち越えた同志が朗らかに(石川文化会館で)。滞在中、先生は「誓」をはじめ、多くの揮毫を贈っている

北陸広布を担う未来部・学生部の代表との記念撮影に臨む池田先生。「この写真は、必ず、一番模範の、歴史的な写真になるよ」と、万感の期待を寄せた(1984年8月、石川文化会館で)

1982年9月にしたためられた「石川広布」。この折、池田先生は「師 生誕ノ地」との揮毫も。友の胸に師弟有縁の誇りが脈打つ
北陸の友に贈った指針
戸田先生が、しばしば、遺言のように語っていた言葉は何か。
それは「勇気」である。
「仏法の真髄は、慈悲であり、われわれにも慈悲は必要だけども、凡夫だから、なかなか慈悲はもてないものである。この慈悲に代わるのが勇気だ。
『人を救おう』『自分を向上させよう』『人間革命しよう』『日本を、世界を広宣流布しよう』という勇気だ。勇気をもって仏法を実践することが、慈悲に通じていくのである」
これが戸田先生の厳然たる指導であった。

有名人になる道。名声を得る道。社会的に高い地位に上る道。それは、いろいろあるだろう。
しかし「仏になる道」は、どこにあるのか。それは「広宣流布の拡大」にしかない。
大聖人の仏法は「広宣流布の信心」である。
信心即生活である。ゆえに、今がどれだけ厳しくとも、この広宣流布の信心さえ貫けば、すべての努力が生かされ、いくらでも生活の面で、また社会の面で、勝利し、成功していけるのである。

大事なのは、どんなことがあっても、宇宙大の大法則である信心に徹しゆくことだ。「広宣流布の道」から離れないことだ。自身の偉大な使命に生きぬいていくことだ。
そこにしか、真実の幸福の大道はないからである。
その上で、わが使命の舞台で、努力に努力を重ねて、「限界の壁」を突き破っていっていただきたい。
「勝ち負け」は時の運である。大事なのは、自分が前進したかどうかである。
「自分は、これだけやったんだ!」と言える人生は満足だ。満足は勝利である。

自身に勝ち、人生に勝利していく。そのための信心である。
この一生、毅然と、勇敢に、胸を張り、一日一日を、自分らしく進んでいっていただきたい。