
石垣島で地元の名士や友人らを招いて行われた「八重山祭」の一こま。法被と鉢巻きを身に着け、池田先生も踊りの輪の中へ。共に喜び、共に舞った(1974年2月)

1972年1月、池田先生はコザ市(現・沖縄市)の諸見会館で2500人の同志と8回に分かれて記念撮影。後継の友を温かく励ました

人類の宿命転換を願い、広布に駆けてきた草創の母たちを池田先生がたたえる。「永遠に崩れざる幸の楽土を」と(1991年2月、名護平和会館で)

郷土芸能を披露した有志の真心に応え、太鼓を手に取る池田先生(1972年1月、那覇市内で)

1974年2月、宮古島を初めて訪れた池田先生を迎え、喜びに沸いた記念撮影会。先生は「さあ、今日からは、宮古の新時代です!」と友を鼓舞した(旧平良市内で)

恩納村の沖縄研修道場にある「世界平和の碑」。かつて米軍の核ミサイル・メースBの発射台だったこの場所は、池田先生の提案で平和の発信地として生まれ変わった
沖縄の友に贈った指針
人生は、勝たねばならない。
勝ってこそ、幸福もある。栄光もある。負けたら、自分だけではなく、ひいては周囲をも不幸にしてしまう。
勝利の山を、また勝利の山を連続して登り、越えきってこそ、広宣流布の歴史もつづられる。
信心に中途半端はない。絶えざる前進であり、永遠の挑戦である。
戦いには武器が必要である。私どもの最上の武器は「信心」である。
そのうえで、大切なことは、「誠実」である。仕事においても、折伏、弘法においても、外交においても、「誠実」によってのみ、深く人の心をつかむことができる。これこそが最終の真実の勝利のカギである。
そして「誠実」には、裏に、血のにじむような努力と辛労がある。祈りがある。
現実の社会を離れて仏法はない。「人間」を離れて仏法はない。
「法」がいくら正しいといっても、その正しさをただ声高に叫ぶだけでは、人々の理解は容易に得られない。かえって仏法の道から遠ざけてしまう場合さえあろう。それでは「広宣流布」を御遺命された日蓮大聖人のお心に反する。
揺るぎなき信念、未来への展望、あたたかな思いやり、豊かな知恵、使命への情熱、すべてを包容する広い境涯等々――信心によって磨かれた人間性こそが、人々の心をうち、心の扉を開いていく。
沖縄の友は、これまで本当によく戦ってこられた。立派に一大平和勢力を築かれた。
今や日本そしてアジア、世界の模範として、いよいよ本格的に実力を発揮し、輝きを増していく時代に入った。
何ものも恐れず、堂々と、この「平和の要塞」を守り、発展させていただきたい。
皆の勇気で、皆の努力で、皆のスクラムで、すばらしき「完勝」と「栄光」の沖縄創価学会を総仕上げしていただきたい。
(沖縄最高会議<1991年2月>でのスピーチから抜粋)
|