中国方面 今こそまことの時 勇んで前へ
21年02月02日

<広島>

1986年6月の広島指導の折、池田先生は太田川に沿った道へ。かなたには、同志が躍動する広島市安佐南・安佐北区の天地や中国山地の山々が。この10年前にも先生は太田川沿いを友と散策。「妙法の 轟きわたる 広島に 右に左に 幸の花咲け」などの和歌を詠み贈っている

<岡山>

未来部の代表との記念撮影で、後継の友を励ます池田先生(1985年5月26日、岡山文化会館<現・岡山南文化会館>で)。この前日に行われた代表者懇談会で、先生は「限りなき前進の岡山」とのモットーを贈った

<山口>

山口開拓指導のさなかに池田先生が贈った書「山陽広布の黎明の聖鐘(かね)を打とう」

山口開拓指導の折の記念撮影(1956年11月16日、柳井市で)。延べ22日間で、当時の山口の会員世帯数を約10倍とする弘教を達成した

<鳥取>

“日本一美しい、憧れのふるさと山光を”――池田先生が万感の思いを語った第1回「山光総会・音楽祭」から2日後、先生は米子文化会館で行われた代表記念勤行会に出席。同志の奮闘をたたえた(1991年9月10日)

<島根>

池田先生ご夫妻が安来会館を初訪問。友の真心こもる展示物を丹念に観賞した(1991年9月9日)。同日行われた島根県代表幹部会の席上、先生は「山光と たれがつけたか この光彩 日々の輝き 山陰消えたり」との和歌を贈った

<中国の友に贈った指針>
人生は、ともかく「勝つ」ことである。
「勝つ」ということは、人生を愉快にする。幸福にする。満足をもたらす。
自身の課題に挑み、一歩一歩勝利する。これほど充実した、愉快なことはない。
「仏法は勝負」と、日蓮大聖人は教えてくださっている。また、一切法はこれ仏法なるがゆえに“一切が勝負”なのである。

どこまでも伸び、どこまでも生きぬいていく――人生は休みなき自己への挑戦である。
戦いをやめれば敗北が待っている。否、挑むことをやめた人生は、もはやその時点で“生きながらの死”となってしまう。
生きて生きて生きぬくこと――これが一つの人生観の精髄である。その闘争の原動力こそ「信心」なのである。

同じ戦う一生ならば、後ろ向きよりも、勇んで進んだほうが得である。楽しいし、信心の功徳も大きい。
“なぜ自分は、こんなたいへんな所に来てしまったのか”などと嘆くよりも、“苦労が大きいほど勝った喜びも大きい。成長も大きい。充実も大きい。わが人生も大きくなる”と、一念を決めたほうが価値的である。その一念が、苦労をすべて幾百倍、幾千倍もの福徳に変える。

「まことの時」。今が、その「時」である。私どもは進む。大聖人の仰せのとおりの道を行く。
絶対に正義であるゆえに、恐れないし動じない。そんな必要は微塵もない。一切は「時」とともに明らかとなろう。御本仏が私どもの最大の味方であられる。勝利しないはずがない。

「戦う人間主義」が、わが学会である。徹底的な大闘争心が学会精神である。信仰に妥協はない。また信心は口先ではない。行動である。結果である。
皆さまのために、皆さまの戦いで、この中国に、どうか「広宣」と「人間主義」の壮大なる民衆山脈を築いていただきたい。