広布史アルバム⑧
北陸の友の「誓いの8月」 2020年08月22日
勝利が労苦を宝にする

「広宣流布の世界から離れてはいけない。また、題目を唱え抜くことを忘れてはいけない。そこに、妙法の力によって、所願満足の人生が築かれていくことを知ってほしい」「『逃避』も『あきらめ』も『悲観』も乗り越えて『地道』に『賢明』に『伸びのび』と『生き抜く』ことが重要である」――恩師が生まれた北陸の天地で、青年部に渾身の指導をする池田先生(1984年8月24日、富山文化会館で)。この日は後に「北陸青年部の日」に
〈1984年(昭和59年)8月24日、前日に富山入りした池田先生は、当初の予定を変更し、北陸青年部と懇談の場を持った。この日は、先生の入信記念日でもあった。
北陸は、戸田先生の故郷である。その師弟有縁の天地で広布に駆ける青年たちに、池田先生は戸田先生の言葉を通して訴えた〉

恩師は、よく言われた。
「どんなに辛いこと、苦しいこと、悲しいことがあっても、時がたてば、“なぜ、あんなものに苦しんだのだろうか”と思うものだ」
私は、この教えを通し、青年たちに指導した。
“現在、どれほどの苦難に直面していても、絶対に挫けてはならない。諦めてはならない。断じて、断じて負けてはならない!”と。
苦労しながら戦った分だけ偉大な自分を創造できる。
途中がどんなに苦しく、辛くとも、粘り抜いて、今日を勝て! そして、最後を勝て!
勝てば、いっさいの労苦は黄金の宝に変わる。

8・26「北陸の日」の淵源となった「第1回北陸平和文化祭」。池田先生は開会前にグラウンドへ向かい、両手を上げ、全出演者や役員にエールを送った(1984年8月26日、金沢市の石川県西部緑地公園陸上競技場で)

〈池田先生は、2日後の26日、石川で開かれた「第1回北陸平和文化祭」へ。開始前、競技場を一周し、北陸の全同志の奮闘を心からたたえた。グランドフィナーレでは、全出演者による北陸の歌「ああ誓願の歌」の大合唱が轟いた〉

私が北陸の歌「ああ誓願の歌」を贈ったのは、一九七八年(昭和53年)であった。その六年後、「第一回北陸平和文化祭」で、「ああ誓願の歌」の大合唱は圧巻であった。
「この歌声が聞きたかったのだ!」と、私は何よりも嬉しかった。初代、二代、三代と貫き通してきた創価の「勇気」を、そのまま受け継いだ北陸の友の心の響きが凝結していたからだ。
「誓願」を果たすためには、「勇気」がいる。その勇気の究極の源泉こそが、創価の師弟の精神なのである。
御聖訓には仰せである。
「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」(御書1589ページ)
わが北陸の同志に、「師子王の心」が燃え上がっている限り、創価の「勝利の旭日」は永遠に輝きわたるのだ。