広布史アルバム⑥
「人間革命の歌」誕生 2020年07月04日
逆境の時こそ、使命の道を勇んで進め
誓いを貫きゆく正義の歌を。
師弟の魂あふれる勇気の歌を。
池田先生が「人間革命の歌」の制作を決めたのは、1976年(昭和51年)6月の末のことである。
当時、広布の伸展と共に、一部のマスコミによる、いわれなき中傷があった。また、宗門の悪侶らも、陰湿な悪口を浴びせ始めていた。障魔が蠢動する中、池田先生は、大切な同志が一人も漏れなく地涌の使命を果たし抜くため、歌の制作を開始した。

この歌を作った当時は、すでに第一次の宗門問題の兆しが現れていた時期であった。聖職者であるべき僧が、あろうことか信徒を見下し、かりそめの宗教的権威をかさに、民衆を支配しようとする策動であった。

それらが、私一人に向けられたものであれば、まだよい。大切な学会と学会員を守るためならば、私自身は、どんな批判の矢面にも立とう。
だが、ひたすら「僧俗和合」を願い、守りに守ってきた聖職者から、一方的にいじめられ、ののしられる庶民の悲しみ、苦しみ――それが、どれほど深く、大きなものであったか。
しかも、そうした悪侶の策謀に対する、やむにやまれぬ正義の声すら、表立ってはあげられないという厳しい時代であった。それでも同志は、「和合のために」と歯がみをする思いで、耐えに耐えてくださっていたのである。
そのけなげなる尊い友のために、はたして何ができるのか。私は人知れず、さまざまに思索をめぐらした。――「人間革命の歌」は、そうした背景のもとに生まれた歌である。

民衆をいじめ、僧衣の権威で縛りつけようとする悪侶らの陰険な言動――だからこそ私は、いわば新たなる「魂の自由」の歌、「幸福への前進」の歌を、全国の友に贈りたかったのである。
嵐吹きすさぶ時こそ、仏法者としての「人間革命」の好機ではないか。「地涌の同志」が、使命の道を勇んで開いていくべき、旅立ちの時ではないか、と。

先生が歌詞を作り終えたのは、7月16日。当初、18日の本部幹部会で、曲と共に発表する予定だった。しかし、曲が仕上がらず、先に歌詞のみが発表された。

「歌は、心で歌うものだ。そして心で聴くものだ」。作詞に取り組む私の脳裏からは、恩師の姿が、言葉が、瞬時も離れることはなかった。
――私は、恩師とともに、あの「人間革命の歌」を綴ったつもりである。

やがて歌詞はできたが、問題は曲のほうである。もとより専門的な音楽教育を受けたわけではないし、楽譜で音階を追うこともおぼつかない。曲の一応のイメージができあがると、周りの若い人の意見も確かめながら、少しずつ練り上げていった。

先生は、本部幹部会に出席した後、再びピアノに向かった。試行錯誤を重ね、やがて曲も出来上がった。しかし、先生は録音テープを聴くと、さらに、歌詞にも、曲にも、手直しを加えた。
そして、7月18日午後8時40分、ついに「人間革命の歌」が完成。歌詞と楽譜は、翌19日付の聖教新聞に掲載され、歓喜と決意の波動が列島を包んだ。

さいわいなことに、全国の友は、「人間革命の歌」を愛唱してくださった。私の「心」を受けとめてくださった。
しかし、その後、波浪は、さらに激しく学会に襲いかかってきた。一時期は、とうとう、この「人間革命の歌」をはじめ、いくつかの愛唱歌さえも歌えない、いな、歌ってはならないという状況になったことを、今なお覚えている方もおられるであろう。
だが、いかなる権威も、人間の心までは縛れない。会合の帰り道で、一日の仕事を終えてたどる家路で、友は「人間革命の歌」を口ずさみながら、あの苦しい日々を進んでくださったのである。
「人間革命の歌」は、どんな吹雪にも、胸を張って生きぬいていこうという心を歌ったものである。人生には、暴風雨があり、暗い夜もある。だが、それを越えれば、ふたたび、晴れた青空を仰ぎ見ることができる――。
冬の寒さを知る人こそが、春の暖かさを実感できる。苦しみが深かった分だけ、大きな幸福の朝が光るのである。
どんな「運命」も「価値」に転換していく人――それが、人間としての勝利者であり、王者であろう。
その王者の「前進の歌」となれば、これほどの幸せはない。

「人間革命の歌」の作曲に全精魂を注ぐ池田先生(1976年7月18日、創価文化会館<当時>で)。

先生は「後世永遠に歌い継がれる、最高の歌を作りたかった。だから、安易に妥協したくはなかった」と。曲が完成すると、先生は各方面・県のリーダーらに次々と電話を入れ、電話口の前にカセットデッキを置き、誕生したばかりの歌を伝えていった

〽君も立て 我も立つ 広布の天地に 一人立て……。「石川創価学会結成16周年記念勤行会」で、池田先生が参加者と共に、「人間革命の歌」を合唱。この日、先生は「土籠(つちろう)御書」を拝し、一段と強盛な信心に立ち、宿命転換の証しを打ち立てていくことを呼び掛けた(76年11月13日、石川文化会館で)