広布史アルバム③ 昭和55年5月の激励 2020年05月29日 |
私は進む! 私は戦う! 全生命 賭して 指揮執る 時 来り 広宣流布の 陣頭 我なり 〈1960年(昭和35年)5月3日、第3代会長就任のその日、池田先生は詠んだ。 この歌の決意のままに、先生は就任5日後の5月8日に関西総支部幹部会に出席したのをはじめ、旭日の勢いで各地を回り、同年末までに全方面を訪れている。 先生は行く先々で、メンバーの輪の中に飛び込んだ。 どこまでも会員を大切に――その行動は、就任当初から一貫して変わらない。 池田先生は、会長就任50年となる2010年のスピーチでこう振り返った〉 50年前の昭和35年5月6日。第3代会長に就任して、初めて関西へ向かう前、私は日記に書いた。 「一人ひとりに、親しく接しよう。一人ひとりと語り、論じ、そして、生涯、苦楽を共にしてもらおう。これが私の信条だ。 私は進む。私は戦う。私は苦しむ。 如来の使い、大衆の味方の誉れ高き、無冠の勇者として」 愛する同志を仏のごとく大切にし、自分が犠牲となって苦しんでいく。この一念で戦い続けたゆえに、この50年の、奇跡の大発展がある。 学会は、庶民の王者の集まりだ。 広布へ戦う人こそが最も偉大である。 その人を「軽んじてはならない」「蔑んではならない」と、大聖人は厳命された(御書342ページ、趣意)。 誰に対しても、恐れる必要などない。皆、同じ人間である。我らは胸を張って正義を叫び、新しい時代を開きたい。 ![]() 「この旗は、折伏の旗印です」「しっかり戦ってください!」――関西総支部幹部会の席上、真剣なまなざしで支部旗を授与する池田先生(1960年〈昭和35年〉5月8日、大阪府立体育会館で)。会長就任後、初の地方指導は、同志と苦楽を共にした関西からスタートした。教学の研鑽などに力を入れ、幸福の連帯で人材の大城を築いていこうと訴えた。 ![]() 鶴見・京浜・横浜の3支部合同幹部会(同年5月17日、神奈川・川崎市内で)。鶴見方面は、恩師の事業が最も苦境にあった時期に、池田先生が奮闘した地。先生は当時を述懐しつつ、苦難の時に信心を貫く重要性を強調し、師子王の心で前進しようと呼び掛けた。 ![]() 北海道総支部幹部会終了後、会場に入れなかった同志を激励(同年5月22日、札幌市内で)。幹部会では、「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書1132ページ)の御文を拝し、強い信心で題目を唱え切って宿命転換をと望んだ。 |