広布史アルバム②
昭和55年5月の激励 2020年05月19日

今こそ信心修行の労苦を忘れるな!

一人の胸中に信心の灯をともす。
青年を育て、希望の未来を開く。
いついかなる時も、池田先生の行動は、「励まし」という一点に貫かれている。
会長就任20周年となる1980年(昭和55年)5月もそうだった。
第5次訪中を終えた池田先生は、4月30日に長崎から福岡へ向かい、大阪、愛知、岐阜、静岡、神奈川を駆け巡った。
宗門の悪侶と退転・反逆者らによる、師弟の絆を分断しようとする謀略の嵐が吹き荒れていた。行動を制限されていた中で、それでも先生は一人一人に励ましを送っていった。
ある時は、ピアノを奏で、友の勇気を鼓舞した。電車での移動中、通過する駅のホームに駆け付けた同志へ、窓ごしに懸命に手を振った。行事の役員を務める青年に声を掛け、未来部の子どもたちを温かく包み込んだ。また、功労者宅を訪ね、懇談を重ねた――。
静岡では、会館の大広間で、正義の青年たちと語り合った。先生は当時の思いを、随筆に記している。

聖教新聞の記者が、ぜひ写真を掲載したいと言ってきた。当時は、それさえも戦いであった。聖教に載った私の写真が大きすぎる等々、宗門から、幼稚な、陰険な苦情があったからである。
私は、凜々しき青年たちと一緒に写真に納まった。この一枚の写真で、わが同志を元気づけるのだ!
それは、激しき権威の宗門との攻防戦のなかでの知恵であった。
私は、記念撮影に続いて、青年たちと勤行したあと、強く語った。
「今こそ、信心修行の労苦を忘れるな!」
「広宣流布に生き抜く『身軽法重』の精神を忘れるな!」
そして、「社会と職場で勝利者たれ!」と。
二百畳を超える大広間で、五十人ほどの青年との、ごく短時間の、小さな懇談会であった。真剣な語らいのなかから、たった一人でもよい、身命を惜しまず、獅子となって立ち上がる丈夫をつくることを願った。
一人立つ勇者さえあれば、必ず二陣、三陣と続くことは間違いないからだ。

あれから40星霜――。苦難の時に結ばれた絆は、今も同志の心の中で、勇気と希望の光彩を放ち続けている。

大阪

5・5「創価学会後継者の日」に、未来部と思い出のひとときを刻む(1980年、大阪・関西文化会館で)。7日間にわたった大阪滞在中、7万人以上の友を激励。「何があっても、共に戦おう。何があっても、学会は勝ち抜こう」と固く約し合った

岐阜

岐阜・各務原文化会館で約1000人の友を激励。「一人残らず、栄冠の幸せの人生を勝ち取ってもらいたい」と語り、ピアノで「荒城の月」「夕焼け小焼け」「人生の並木路」など5曲を演奏した(1980年〈昭和55年〉5月11日)。名古屋から始まった5日間の中部指導で、110回の記念撮影を行った

静岡

「次は、静岡に行こう! 青年に会おう! 静岡から、反転攻勢を開始するんだ」――静岡文化会館(当時)で、男子部のリーダーたちと真剣な語らい(1980年5月12日)。池田先生は翌日、静岡の同志に語った。「信心の目的は、一生成仏にある! 永遠に崩れざる巌窟王のごとき、善の不滅の生命を築くことだ。ゆえに信心は強盛でなくてはならない」

四国

横浜港で、愛媛の同志を見送る(1980年5月20日)。この年、四国の友を乗せた客船「さんふらわあ7」号は1月と5月、計3回にわたって池田先生のもとへ。先生は「一番大変な時に、まっ先に私のもとに来てくださったのが四国の方だった」「あの光景を一生涯、忘れることはない」と