弟子の戦いと栄光を信ずる

1958年(昭和33年)5月3日、池田先生が「七つの鐘」の未来構想を発表した春季総会(東京スタジアムで)
1958年(昭和33年)5月3日、東京スタジアム(後の日大講堂)で創価学会の春季総会が開催された。
この日は、約1カ月前に第2代会長・戸田城聖先生が逝去してから、初めて迎える「5・3」だった。
戸田先生の遺影が掲げられた会場で、当時、青年部の室長だった池田先生は「七つの鐘」の未来構想を発表。悲しみに沈んでいた数万の同志は皆、希望の前進の目標に奮い立った。
先生は当時を振り返り、こうつづっている。
新生の五月三日を目前に控え、私は一人誓った。
「戦おう。師の偉大さを、世界に証明するために。
一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。障魔の怒濤を乗り越えて。本門の青春に入る」
青年が、恩師の叫びを師子吼するしかない。弟子が学会精神の炎となり、師子奮迅の戦いをするしかないのだ。
五月三日、私は、“七年を区切りに広布の鐘を打て”と語られた師の心をいだいて、広宣流布の希望の前進の目標となる「七つの鐘」の構想を発表した。
六月三十日には、学会でただ一人の「総務」となった。広布のため、全同志のために、決然と一人立ったのだ。
「組織の力で、広宣流布が進展するのではない。それは、強盛な信心の『一人』の力による。ゆえに、一人の真正の師子がいればよいのだ」とは、戸田先生の結論である。
ともあれ、一切の誹謗中傷を打ち破り、日本中が驚嘆する大発展をもって、二年後(昭和三十五年)の五月三日、私は第三代会長に就任した。
地球上、いずこの地であっても、いつの瞬間であっても、不二の弟子が一人立つならば、そこに、創価の烽火は上がる。
「いつか」ではない。
「今、この時」だ。
蓮祖は厳命されている。
「いよいよ強盛の御志あるべし」(御書一二二一ページ)
「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同一一九二ページ)
いよいよ、新しき人間革命の本舞台の幕は上がった! 師弟不二の大いなる闘魂に燃えた、誠実一路の弟子を、私は待つ。
その弟子の戦いと栄光を、私は信ずる。
師子と立て
師子と進めや
師子と勝て

数万の同志が見守る中、会場の中央を真剣なまなざしで歩く池田先生(前から2人目)
池田先生の日記から
春季総会(1958年〈昭和33年〉5月3日)で「七つの鐘」の構想に言及した池田先生は、同年5月12日の日記に次のように記した。
五月三日の大総会を終え、学会は第二段階に入る。
「“広布実現を目指して”と題する講演は、明確なる学会の指針を示せり」と、幹部より感謝さる。
私の闘争は始まる。先生、ご照覧を。祈る、加護を。正義のわれを。
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