Ⅲ部 第11回 2020年11月19日
世界宗教・創価学会への飛翔①

〈出席者〉志賀青年部長、西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

広宣流布の大願成就こそ――
仏意仏勅の学会の永遠の「使命」


創立90周年の「11・18」の旭日が、学会常住御本尊が御安置されている「広宣流布大誓堂」を照らす
◆大串 11月18日、創価学会は創立90周年の佳節を迎えました。今月1日の本部幹部会のメッセージで池田先生が教えてくださった通り、90周年という「時」に巡り合い、祝賀できることの「喜び」と「誇り」を深くかみ締めています。

◇原田 思えば、2013年(平成25年)11月、広宣流布大誓堂が落慶した折に先生は、「時は満ち、時は来りて、遂に待ちに待った師弟の大城の完成を見ました」と言われました。いよいよ本格的な世界広布新時代の到来を感じ、皆が決意新たに前進を開始しました。

◆志賀 そこで今回からは、「世界宗教」への飛翔という「時」を迎えた学会の歴史と使命について伺いたいと思います。

◇原田 戦火で焼かれた荒野に一人立たれ、学会を再建された戸田先生は1951年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任されるとすぐに、「創価学会常住御本尊の発願」「御書全集の発刊」、そして「宗教法人の取得」という大事業を実現されます。わずか1年4カ月の間でのことです。

◆林 それは現代においても広宣流布を進める上で、根幹となるものですね。

◇原田 戸田先生にとって、会長就任の際に発表された「75万世帯の弘教」を達成するために、この三つの実現が必要不可欠だったのです。
戸田先生は会長に就任されてすぐの7月、「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」(御書508ページ)とは、世界の仏法であるとの御金言であると宣言され、全世界への広宣流布の大確信を述べられています。
さらに朝鮮戦争が激化し、東西対立が深刻化する52年、青年部の集いで「地球民族主義」を提唱されています。
また53年11月、牧口先生の十回忌に再版された『価値論』を、“世界中の大学・研究機関に送ろう”と提案されました(若き池田先生が中心となって推進し、約50カ国422の大学・研究機関に送られた)。
日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布すなわち人類の幸福と平和を展望され、戸田先生は着々と手を打たれていたのです。

◆大串 学会常住御本尊の発願については、その心情が小説『人間革命』第5巻「随喜」の章に描かれています。
「戸田城聖は、熟慮した。“新時代の革命には、それにふさわしい、新しい組織が必要である。その組織が、一つの躍動する生命体として発展するために、いちばん大切な、不可欠の条件とは、いったい何であろうか”」
「“われわれの組織は、妙法のそれである。妙法流布の組織である以上、組織の中心軸は、言うまでもなく純粋無垢な信心しかない”。そう思い至ると、彼は、これまでの学会に欠けていたものこそ、その信心の根本たる御本尊にほかならぬと悟ったのである。創価学会に、金剛不壊の大車軸としての御本尊なくして、妙法の組織としての生命をもつはずがない」と。

◇原田 創価学会常住御本尊の記念日は、51年5月19日です。この御本尊には、向かって右に「大法弘通慈折広宣流布大願成就」、左に「創価学会常住」と認められています。
戸田先生は常々、「御本仏・日蓮大聖人より、末法現代の広宣流布を託された地涌の菩薩の集いであり、仏意仏勅の団体こそ、創価学会なのだ」と語られていました。
戸田先生は、この御本尊に祈り、生涯の願業である75万世帯を達成されました。
第3代会長に就任された、不二の弟子である池田先生は学会本部で、この御本尊をお守りするとともに、全同志の幸福・勝利と人間革命、広宣流布の実現を祈り、令法久住への盤石な基盤を築いてくださいました。
この御本尊は現在、世界広布の根本道場である広宣流布大誓堂に安置されています。
戸田先生が発願された「広宣流布大願成就」の御本尊は、広布実現のために出現した仏意仏勅の団体である創価学会の「法華弘通のはたじるし」(同1243ページ)です。
池田先生は、「広布という大願を絶対に成就させねばならない。それが学会出現の“因縁”であり、未来への前進の“原点”である」と言われています。
ここに学会の使命が明確に示されているのです。

大誓堂に設置されている、池田先生がしたためられた「広宣流布」の書と「広宣流布 誓願の碑」の碑文

宗祖の魂を受け継ぐ御書の発刊
◆樺澤 戸田先生は会長就任1カ月後の6月30日には、『御書全集』の発刊という大事業を提案されています。

◇原田 「たとい会員諸君が反対しようとも決行する」との強い決意を述べられ、翌7月22日に開かれた臨時総会で、創価学会の総意として、御書を発刊することが発表されました。
そこには、“戦時中の弾圧で幹部が退転したのは、教学がなかったからだ”との反省の上に立ち、大聖人直結で、御書を根幹とする学会を築き上げなければならないとの戸田先生の深いご決意がありました。
そのためにも、他門流が刊行した従来の御書ではなく、学会が作成した、大聖人の正統な御遺文をまとめた御書を発刊する必要があると考えられたのです。
小説『新・人間革命』第30巻「雌伏」の章に、「これによって、日蓮仏法の正しい法理が、広く人びとの生き方の規範として確立されるという、未曾有の歴史が開かれたのである」と記されています。本当にその通りであると思います。
御書の発刊により、宗祖の魂を受け継ぐ、正しい実践が行われていくのです。
池田先生は、御書を根本に大聖人直結の信心を貫かれ、日本中、世界中の友へ励ましを送り続けてくださっています。そして明年11月18日には、池田先生に監修をしていただき、大聖人御聖誕800年を慶祝した、新版の御書全集を発刊する予定です。

◆西方 学会は、牧口先生、戸田先生により、軍部政府の弾圧に屈せず、正法正義を貫きました。一方、宗門は圧迫を恐れ、御書の要文を削除し、謗法を容認しました。
学会が御書発刊を提案した時も、“我関せず”の冷たい扱いをしました。唯一、尽力された堀日亨元法主は51年6月、「現在の宗門で、学会以外に、取るものがあるかね。学会を排除する宗門は、忌むべきである」と言われましたが、その通りの実態です。

御書は現在、英・仏・西・中などの言語で出版されている

独自の「宗教法人」設立
戸田先生の慧眼に感嘆

◆志賀 52年9月8日、戸田先生のお考えのもと、創価学会は、独自の「宗教法人」を設立させています。

◇原田 戸田先生は、会長就任以来、宗門から独立した宗教法人になることが、広宣流布の活動の展開にとって不可欠であると考えられていました。
その理由の一つは、宗門のためです。御書に照らし、広宣流布が進めば進むほど、大難が競い起こることは明らかです。その時に、学会が宗門の一つの講という存在であれば、宗門自体が直接、攻撃の対象になってしまう。そうした事態から宗門を守るには、学会が独立した宗教法人となり、矢面に立つ以外にないからです。
理由の二つ目は、広布の新展開のためには、時代に即応した独創的な運動を自在に推進する必要があるからです。
『人間革命』第5巻「前三後一」の章の中に、「信者を基礎として宗教団体を構成する」学会のあり方について、「妙法を根底としつつ、そこから一切の社会の各分野にわたって広く活躍していったほうが、はるかに広宣流布の伸展も早まるにちがいない。また、それが自然な姿でもあった」と記されています。
こうした学会の説明に対して宗門は、「学会が宗教法人となることは、法的な問題であり、なんら指示するような意思はありません」と答えています。
そもそも社会経験も乏しく、時代錯誤の宗門が、広宣流布を進めることなど到底できるわけがないのです。

◆西方 ところが、差別的・封建的な体質が染み付いた宗門は52年6月になると臨時宗会を開き、「檀徒及び信徒は本宗が包括する宗教法人以外の宗教法人に加入する事が出来ない」との条文を、宗制・宗規に加えようとしました。

◇原田 実は宗会議員から提案された当初の案は、「檀徒及び信徒は本宗が包括する宗教法人以外の法人を設立する事が出来ない」でした。これは宗務院の異議申し立てによって訂正されましたが、いずれにしても、学会の宗教法人設立を阻止するとの、彼らの底意は見え見えでした。
宗教法人設立は、広宣流布の大きな流れを開き、日蓮大聖人の御遺命を実現していくためのものです。だからこそ、明らかに不当な圧力となる危険性がある宗門の条文について、学会は直ちに抗議して取り消しを求めたのです。

◆西方 学会の宗教法人設立を阻もうとした、強硬な反対派の一人が日顕(当時、阿部信雄)です。後に、「私は、創価学会が宗教法人を取得するという時に、弱冠二十何歳でしたけれども、『これは違います』と、時の宗務院の人に言ったのであります。しかし、それは聞かれませんでした」と述べています。

◇原田 戸田先生は「阿部は腹黒く、インチキが多い、気をつけよ」と注意を促していました。
また、“釈尊の時代の六師外道(6人の外道論師)が、大聖人の時代、良観などとなって生まれ変わった。学会草創期には他宗の坊主となって広布の邪魔をした。そして次は、あのような連中が日蓮正宗の中に生まれてくる”とも断言されていました。
その後の日顕宗の所業を見るにつけ、戸田先生は先を見越して手を打ってくださったのだと、深く感じます。

全世界で130万人以上の青年が集った世界青年部総会(9月)

◆林 そうした風圧との戦いを経て、宗教法人「創価学会」は設立されたのですね。

◇原田 これにより、在家信者による未聞の宗教運動の大道が開かれていきます。
つまり学会は、独自の責任のもとに自立した宗教法人として広宣流布を目指し、仏法を広く社会に開くとともに、儀式、行事を行っていくという使命と役割が明確化されたのです。
そして、75万世帯達成への目覚ましい伸展がなされ、戸田先生の時代に日本国内の広宣流布の基盤が作られ、池田先生の時代になって、国内はもとより、世界に向けた仏法史上、未曽有の広宣流布が展開されるのです。

◆樺澤 戸田先生も池田先生も、宗門に対して赤誠を尽くされました。学会のおかげで、宗門が大興隆したことは、歴史の厳たる事実です。しかし、腐敗・堕落した宗門は、衣の権威を笠に着て、「C作戦」(Cはカットの意)を実行します。供養を取るだけ取って切り捨てる、とんでもない大暴挙です。

◇原田 『新・人間革命』第27巻「正義」の章には、次のように書かれています。
「一九九一年(平成三年)十一月、学会を“破門”するなどという時代錯誤な暴挙に出た。しかし、いくら一方的に“切る”などと騒いでも、学会は、もとより独立した宗教法人である。なんの社会的な影響力もなかった。むしろ、それによって、学会は、邪宗門の呪縛から完全に解き放たれ、魂の独立を果たし、晴れやかに、ますます雄々しく、広宣流布の大空に飛翔していくことになる」と。
そこには、「宗教法人の設立という戸田の英断が、どれほど広宣流布の大発展につながっていったことか。伸一は、未来を見すえた師の慧眼と偉大さに感嘆するとともに、“戸田先生に学会を守っていただいた”との思いを深くするのであった」とも記されています。

◆志賀 実は今回、改めて当時の書類を確認していたところ、宗教法人の認証申請書に添付された、宗教法人「創価学会」規則の「沿革」には、こう記されていました。
「当会は初代会長牧口常三郎 現会長戸田城聖の両先生を中心として昭和五年十一月十八日創価教育学会の名称の下に会員数六十余名を以て結成せられたのを最初と致します」

◇原田 非常に重要なことです。
牧口先生と戸田先生の師弟によって、学会は90年前の「11・18」に出発したことが、ここにも明確に記されているのです。
ともあれ学会は、邪教と化した宗門と決別し、大聖人直結の宗教的独自性を確立して、池田先生のもと、いよいよ世界に飛翔しています。学会の永遠の原点の日である「11・18」から、創立100周年へ向かい、共々に新たな決意で進んでいきましょう。