Ⅲ部 第8回 2020年10月20日 師弟で開いた「青年育成」の大道③ |
![]() 〈出席者〉志賀青年部長、西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長 未来部こそ次代の黎明を告げる暁鐘 万年の勝利開く大樹と育て! ◆志賀 「大白蓮華」8月号の講義「世界を照らす太陽の仏法」の中で池田先生は、「今の高等部、中等部、少年少女部の皆さんの前進こそ、全世界の次代の黎明を告げる暁鐘である」とつづられています。先生は、半世紀以上前に高等部、中等部、少年少女部(当時は少年部)を結成されてから、一貫して未来部の重大な使命を教えてくださっています。 ◇原田 高・中等部の設置が発表されたのは、1964年(昭和39年)6月1日。実はそれまで、高校生は男女青年部と一緒に学会活動に取り組んでいました。 そこには、世代を超えた交流を通じて、高校生に信心の触発をもたらすという意味がありましたが、高校生にとっては、学業の励みになるような組織の在り方が大事ではないかと、先生は考えられていました。 また当時、少年犯罪が増え、非行化傾向も社会問題になっていました。何が善で、何が悪なのか。人間の使命、人生の価値とは何か。先生は中高生に人間の哲学を教え、育成の模範を示していくことが学会の使命であると考えられ、高等部・中等部の結成を決断されたのです。 ◆西方 そして東京では、各本部別に高等部の結成式が行われ、6月7日、先生は江東区の東京第2本部の会場に出席されます。 ◇原田 結成式の終了後、担当幹部に対して、先生は次のように語られました。 「あくまで勉学第一であり、学問に励むようにすることです」 「人間として大成するために、信仰の『種』、信念の『種』、哲学の『種』を植えていくんです。そして、将来の社会の指導者を、学会の指導者を育てていくことが、担当者の皆さんの使命です」 さらに「担当者としては、どこまでも対等な人格として、若き同志として接していくことです。同じ人間として、人格の触発を行っていくことが、本当の指導です」と。 これらは、先生の一貫したご指導です。 ![]() 「世界の希望」と輝く未来部員と語り合う池田先生。「未来部は私の生命である。未来部の勝利こそが、私の勝利なのだ」(絵・間瀬健治) ◆大串 65年1月15日には全国各地で高・中等部の部員会が開催され、この日が中等部の結成の日となりました。 ◇原田 先生は、中等部の新出発に当たり、指針を贈られました。 「勤行をしっかりしましょう」「勉強をしっかりしましょう」「正しく、強く、明るい毎日を送りましょう」など、実に分かりやすい明快な指針です。 さらに先生は、高等部員に、5年後を目指して決意の署名をするように提案されるなど、皆が励みになり、大成できるように、さまざまな手を打たれていきます。その豊かな発想と迅速な対応を目の当たりにし、感嘆する青年部の最高幹部に、先生は語られました。 「何もしなければ、人は育たない。大切なのは触発だ。その触発をもたらすには、日々、命を削る思いで、成長を祈ることだ。そして、“どうすれば、みんなの励みになるのか”“どうすれば、希望がもてるのか”“どうすれば、勇気が出せるのか”を、瞬間瞬間、懸命に考え続けていくことだ。強き祈りの一念が智慧となり、それが、さまざまな発想となる。責任感とは、その一念の強さのことだ」 先生の発想、行動。その根源は、広布への責任感、一念の強さであることを、改めて学ばせていただきました。 ![]() 大いなる期待を込め、高等部の代表一人一人に部旗を授与する池田先生(1965年10月、東京・信濃町の学会本部で) 「勉学第一」貫き民衆を守る人に ◆樺澤 同年10月には、高等部の部旗授与式が学会本部で行われ、首都圏の代表276人が参加しました。 ◇原田 私も聖教新聞の記者として、その場に同席していました。 重い部旗を、300人近いメンバーに直接、手渡していくのは、並大抵ではありません。旗立てから部旗を取り、先生に手渡す幹部の方が、ふらついてしまうほどでした。 しかし先生は、汗をにじませながらも毅然とした姿で、一人一人に激励の声を掛けながら授与されていました。 そして「諸君は、十年先、三十年先、五十年先までも、結束を固めていっていただきたい。そして、創価学会を守っていただきたい。学会員を守っていただきたい。民衆を守っていただきたい。とともに、“広宣流布のバトンは引き受けた。広布の総仕上げをするのだ!”との決意をもっていただきたい」と語られ、「勉学第一」の指針を示されます。 先生の高等部に対する期待の叫びは、鮮烈な印象をもって心に焼き付いています。 ◆林 少年部は、65年9月23日に結成されました。これによって、少年・中等・高等部の、今日の未来部の組織が整ったことになります。 ◇原田 先生は当時の幹部に対し、“少年少女の心というのは真っ白なキャンバスなんだ。それにどういう絵を描くか、あるいは描かせるかは、リーダーの一念にかかっている”とご指導されたことがあります。 さらに先生のご提案で、66年5月5日に現在の「富士少年希望少女合唱団」の前身となる「富士少年合唱団」と「希望少女合唱団」が誕生しました。 メンバーは合唱を通し、人格形成と信心の骨格を鍛え、やがて全国各地にも合唱団が結成され、人材育成の流れが大きく広がっていきました。 ![]() 富士少年希望少女合唱団が制作した合唱動画(本年5月) ◆志賀 高等部結成2年となる66年「黎明の年」は、別名「高等部の年」となりました。この年、先生は「鳳雛会」「鳳雛グループ」を結成され、以後、「五年会」「二〇〇〇年会」「未来会」など、次々に人材グループを結成されます。 ◇原田 先生自らが手塩にかけて未来の宝を励まされ、毎回の出会いのたびに、体当たりで育成に取り組まれていました。 印象的だったのが、66年の夏季講習会です。先生はスポーツ大会に出席され、高等部の代表と共にソフトボールをされました。先生はファーストを守られていましたが、内野ゴロを打って打席から全速力で走って来たランナーと衝突してしまい、先生の左腕が出血して腫れるほどのけがをされました。 その夜には、高等部、中等部、少年部の合同部員会が開催される予定でしたが、周りにいた幹部たちは休養されるよう申し出ました。しかし先生は、「全国から集って来てくれた、大事な、大事な学会の後継者たちが、待っているんだから」と、痛みを押して出席してくださったのです。 先生は約50分間、けがを忘れたかのように渾身の指導をされ、学会歌の指揮まで執られました。民衆に、同志に奉仕する広宣流布のリーダーの生き方を、身をもって教えられる先生の姿に、メンバーは皆、涙を流し、後継の誓いを新たにしたのです。 人材グループを次々に結成 “後継の使命を自覚した真の弟子が必ず現れる” ◆西方 「未来会」が結成された70年6月は、言論問題の直後でした。 ◇原田 マスコミの学会批判は続いており、記者会見で意地の悪い質問を繰り返す記者も多くいました。しかし先生は、厳然と宣言されます。 「学会がどうなるか、二十一世紀を見てください。社会に大きく貢献する人材が必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」 当時の真情は、小説『新・人間革命』第14巻「大河」の章につづられています。 “自分の手で、本物の人材を育てよう。本当の弟子をつくろう。広宣流布が仏意仏勅である限り、自分の期待を生命で受け止め、後継の使命を自覚し、二十一世紀のために立ち上がってくれる真の弟子が、絶対に現れるにちがいない”――先生は、こう確信されていたからこそ、未来への人材の流れをつくるための布石として、未来部各部を結成され、「未来会」をはじめとする人材グループの育成に全精魂を注がれたのです。 師の薫陶を受けた鳳雛たちは今、弁護士、大学教授、医師、実業家、通訳など、社会で実証を示す各界の第一人者として活躍し、広布の舞台でも使命に生き抜いています。 自身を鍛錬する青春時代の試練 ◆林 先生は今も未来部の育成に力を注がれ、励ましを送ってくださっています。今夏の「未来部ドリームチャレンジ期間」では、作文や絵画の各種コンクールに加え、英語スピーチコンテスト「未来部イングリッシュチャレンジ」を実施し、多くのメンバーが挑戦しました。 ◇原田 コロナ禍という大きな不安や変化の中で、勉学に挑む未来部員の苦労はひとしおだと思います。しかし、青春時代に悩み、大きな試練を乗り越えていくことは、それだけ自身が鍛えられ、大きな使命を果たしていけます。 先生は今の未来部員を「21世紀人」と呼ばれ、「人生100年時代」を飾りゆく世代と期待を寄せられています。 学会創立100周年の2030年、そして22世紀から遥かその先へ、世界広布の万年の勝利を開く後継の大樹こそ、今の未来部の皆さんです。一人ももれなく、「法華経の命を継ぐ人」(御書1169ページ)です。 未来の宝に対する先生の思いを私たちが継承し、真心の励ましを送りながら、共に成長し、広布の未来を切り開いていきたいと思います。 |