〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長
世界を語る美術館「東京富士美」
海外の国宝などの招来を実現した――創立者・池田先生の信義と誠実
◆西方 開館37年となる東京富士美術館(八王子市)は、「世界を語る美術館」として、各国の美の名品を招来した展覧会を、これまで48回開催してきました。この美術館設立の構想が示されたのも、池田先生が第3代会長に就任されて間もなくのことだと伺いました。
◇原田 1961年(昭和36年)6月、京都での関西第4総支部結成大会の席上、先生は“将来、大きな美術館をつくる”と展望されました。そこには、広宣流布は「仏法を基調とした平和・文化の開花でなくてはならない」と思索された戸田先生の構想実現への決意が込められていたと思います。
京都は、国宝級の文化財で彩られている古都です。国宝の多くは、寺院建築をはじめ、宗教性のあるものです。“広宣流布の伸展に伴い、それらの文化財をどう捉えるべきか”――先生は、会員の方々の素朴な疑問を受け止め、人類共通の貴重な遺産である文化財を大切にし、精神性を高める糧としていく、世界宗教としてのあり方を明確にされたのだと思います。
初の欧州指導に赴かれた同年10月には、各国の主要都市を回り、点在する同志を全力で励ます間に、パリのルーブル美術館、ロンドンの大英博物館、ローマの遺跡やバチカン宮殿、優れた芸術性を誇るオーストリアの楽都ウィーンにも足を運ばれました。
行く先々で文化の宝を目に焼き付けながら、先生は美術館の設立構想を同行の友に語られました。“新たな人間主義の芸術の創造のためにも、世界の民衆を結ぶ文化交流のためにも、美術館をつくりたい。いつか全同志が誇れるような、世界中の美の宝を展示していこう”と――。
◆大串 「地味な作業かもしれないけれど、文化交流が一番の平和の近道なんだ」とも先生は言われています。
◇原田 72年5月8日には、イギリスでトインビー博士と対談される中、先生は国立の「テート・ギャラリー」(当時)を訪問され、館長の案内のもと、絵の修復作業などの視察をされています。
12日には、パリのルーブル美術館を再び訪れ、当時のフランス国立美術館の局長と、美術館のあり方などを巡って懇談されています。翌日には、印象派美術館(当時)も見学されました。さらに15日、米ワシントンDCでは、フリーア美術館を視察されています。
実は、この1カ月前、関西指導で奈良の平城会館を訪れた折には、平城宮跡や正倉院も見学されました。そのほか、国内にあっては、根津美術館(東京)や大原美術館(岡山)などにも足を運ばれています。
美術館設立は、民衆文化の向上とともに、次代を担う青年のためでもありました。池田先生は若き日、戸田先生から、青年は「一流に触れ、自身を高めよ!」と徹底して薫陶を受けられていたのです。

一昨年、開催された東京富士美術館の「ロシア絵画の至宝展」。世界的な名画「第九の怒濤」が出品され、多くの鑑賞者の感動を呼んだ
“精神”のための闘争を共々に!
◆樺澤 83年11月には、東京富士美術館がオープンします。開館を飾ったのは、「近世フランス絵画展」でした。
◇原田 開館を力強く支えてくださったのが、フランスが誇る世界的な美術史家のルネ・ユイグ氏です。ナチスと戦ったレジスタンス(抵抗)運動の闘士でもある氏は、先生の平和運動に心からの期待を寄せ、「私たちの出会いは、ゲーテの言う“選ばれた友情”」と語っていました。それに対して先生は、「私は(氏から)常に学ぼうと思い続けてきました」と応じられたこともあります。
ユイグ氏と先生の初の出会いは74年4月。空前の鑑賞者数を生んだ、ダ・ビンチの名作「モナ・リザ展」のために、氏が来日された時です。当時のことをリディ・ユイグ夫人は「初めて会った瞬間、夫は直感的に友情の共鳴を感じていました。池田会長は精神性の光を放ち、行動力がある。夫の哲学を最もよく理解された方です」と語っています。以来10度を超える会見を重ね、対談集『闇は暁を求めて』も発刊されています。
◆林 第2次大戦中、ルーブル美術館の絵画部長だったユイグ氏は、ナチスの侵略から「モナ・リザ」をはじめとしたルーブルの美術品を守るため、身を挺して戦われたと聞きました。
◇原田 ユイグ氏は先生と語り合われた際、「国家の暴力」「近代の限界」を話題にされました。そして、「精神の闘争なき文明は滅びる。今こそ精神のための闘いを始めましょう」「結局、私が最も要請しているのは『人間革命』です。私はこの人間革命の夜明けへ、一人の『ヨーロッパの義勇兵』として戦います」と訴えられました。
そのユイグ氏の強力な後押しがあり、「近世フランス絵画展」は開催されたのです。そこには、ルーブルやベルサイユなど、フランスを代表する八つの美術館からの出品がありました。駐日フランス大使は出品作品の一覧を見て、「フランスでも滅多に見ることができません」と驚いていました。
<ユイグ氏との交流については、学会公式ホームページ「SOKAnet」の第3代会長就任60周年記念「映像で見る池田先生の行動と軌跡」で明29日から公開の予定です>
◆林 昨年秋から本年1月、東京富士美術館では「ルネ・ユイグのまなざし フランス絵画の精華」展が開かれました。
◇原田 ユイグ氏へのオマージュ(敬意)を込めて、氏が人生をささげて“魂の対話”を重ねたフランス絵画への愛をうたい上げる展覧会です。
実は昨年、ご子息のフランソワ=ベルナール・ユイグ氏から「父の遺品の原稿類を寄贈したい」との申し出があり、膨大な遺稿等が届きました。それらも踏まえて開かれたのです。
ご子息は、「父が母と共に、東京富士美術館の展覧会やコレクションの形成に力を尽くしたのは、いうまでもなく、美術館の創立者である池田大作SGI会長と一生涯にわたる友情を育んだからでしょう」「東京富士美術館の発展に貢献することは、父にとっても幸せなことだったはずです」と語っていました。
オープン以来、同美術館の企画展示は、国内の多くの美術館や博物館でも開催され、延べ2790万人が鑑賞し、芸術運動の活性化に貢献してきました。

ユイグ氏が館長を務めるパリの美術館で。氏から池田先生に、東京富士美術館の開館記念展に出展される作品の目録が(1983年6月)
「館蔵品」による展覧会が大好評
◆西方 東京富士美術館が収蔵する西洋絵画は、ルネサンスから20世紀までの500年の歴史を俯瞰できる、国内屈指のラインアップといわれます。90年9月には、韓国の首都ソウル市の中央日報社ビルの湖巌ギャラリーで、東京富士美術館所蔵の「西洋絵画名品展」が行われました。この時、先生は、韓国を初めて訪問されています。
◇原田 台風の影響で滞在が縮小され、1泊2日の極めて限られたスケジュールの訪問でした。しかし、ここから文化交流の扉が開かれていくのです。
先生は開幕式で、「貴国は日本の文化の大恩人であります」と言われ、「私ども所蔵の西洋絵画を海外で初公開させていただくことも、せめてものご恩返しの一分となればとの思いからです」と語られました。同展は連日、長蛇の列ができ、韓国の美術館における「一日の入場者数の最高記録」まで樹立し、大成功で終わりました。
2年後の92年には、湖巌美術館所蔵の「高麗 朝鮮陶磁名品展」が東京富士美術館で開かれました。その出展リストには、国宝や重要文化財など152点が記され、どれも国外初公開でした。中には、韓国で未公開の作品まで含まれていました。美術品の中でも最も壊れやすい部類の陶磁器――しかも、国宝を惜しみなく貸し出すことは、異例中の異例でした。韓国の方々は、先生の信義に、信義をもって応えてくださったのです。
◆樺澤 93年2月、東京富士美術館所蔵の「日本美術の名宝展」がコロンビアで行われました。この時、首都ボゴタでは、麻薬組織によるテロ事件が起きていました。しかし先生は約束通り、開幕式に出席されました。
◇原田 コロンビアへ出発する直前、先生は米マイアミの研修道場に滞在されていました。
実はコロンビア国内には非常事態宣言が出され、予定されていた、ある国際会議も中止され、出国する報道関係者も多くいました。大統領府からは、「池田会長は、わが国に本当に来てくださいますか?」と緊急の連絡が届いていました。
しかし先生は、「私のことなら、心配はいりません。予定通り、貴国を訪問させていただきます。私は、最も勇敢なるコロンビア国民の一人として行動してまいります」と言下に答えられたのです。
研修道場の仏間で勤行をされた後、先生からコロンビア訪問の真情を伺いました。友人が一番大変な時に応えてこそ、真の友情である――これが先生の生き方であることを改めて感じた瞬間でした。
コロンビアでは空港からずっと、麻薬探知犬を伴った軍人が、小銃を持って警備に当たってくれていました。そうした緊迫した中でも、先生は威風堂々と行動され、ガビリア大統領夫妻をはじめ、コロンビアの方々は深く感銘していました。
90年、東京富士美術館では「コロンビア大黄金展」が開催されました。この時、コロンビア側からは、至高の輝きをもった黄金細工や、世界最大級のエメラルドの結晶原石など、国の宝が貸し出されました。また89年、来日中のバルコ大統領(当時)から、同国の「功労大十字勲章」が贈られた折、先生は「私どもも“同国民”との思いで、貴国のために貢献していきたいと念願しています」と述べられています。
そこには、「芸術というのは、民族や国境、宗教や習慣の違いを超えて、人間の心と心を結びつける」との変わることのない信念に裏打ちされた、先生の誠実一路の行動があったのです。
◆大串 東京富士美術館の館蔵品による海外展は、これまで20カ国・地域で30回以上にわたり開催されています。
◇原田 先生は94年5月、500年の歴史を誇る、イタリア・フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮殿で開かれた、東京富士美術館の「日本美術の名宝展」のオープニングに出席されました。その後、ボローニャ大学で講演をされ、世界青年平和文化祭に出席されるため、ミラノへ向かいました。その折、スフォルツァ城を訪れ、ダ・ビンチが描いた天井画と壁画をご覧になったのです。
部屋一面に、枝を茂らせ伸びゆく樹木が、すさまじい迫力で描写されていました。そこにダ・ビンチは、脈々たる力をたたえた「根っこ」まで描いたのです。先生は、「『根っこ』は、本来は見えない。また、ふつうは、だれも見ようとしないかもしれない。見えない『土台』というものを大切にするダ・ビンチの心眼に、私は感動した」と述べておられました。
思えば先生も、未来のため、地中深くに、創価の平和・文化運動の「根っこ」を張ってくださいました。先生が築いてくださった、この大文化運動の道を、さらに大きく広げていく弟子でありたいと決意しています。

イタリア・ミラノにあるルネサンス期最大の宮殿・スフォルツァ城。現在は、ミラノ市の市立博物館として、重要な歴史的・文化的遺産が展示されている
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