第23回
人類の宿命転換の大哲学 2020年12月02日
きょう 小説「人間革命」起稿の日
1964年12月2日、池田先生は沖縄で小説『人間革命』を起稿した。きょうで56年となる。ここでは「師弟凱歌の記憶」として、小説を通しての先生の言論戦を振り返る。

激務の中、原稿の執筆に当たる池田先生(1972年11月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)

「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」

――小説『人間革命』の主題である。

池田先生が、この大河小説の執筆を開始したのは1964年12月2日。当初、沖縄の地で起稿したことを知る人は、ほとんどいなかった。翌年1月1日付の本紙で連載が始まる。

「戦争ほど、残酷なものはない」「だが、その戦争はまだ、続いていた」との冒頭の一節を読んだ、ある沖縄の友は起稿の地を知らないものの、“まるで、我々の住んでいる今の沖縄のことじゃないか”と直感したと言う。

沖縄では、太平洋戦争で悲惨な地上戦が繰り広げられた。敗戦後はアメリカの統治下に置かれ、米軍の基地建設が進められた。連載が開始された当時、ベトナム戦争が世界に暗い影を落とし、沖縄の基地からも爆撃機が飛び立っていた。

また沖縄には、核ミサイル・メースB基地も設けられていた。

人類は、いつまで愚かな争いを続けるのか。核軍拡競争をエスカレートさせ、人類自体を滅亡に追い込もうとさえしている――。

冒頭の一節には、そうした現状への深い憤りと、平和への固い決意が込められていた。

池田先生が小説『人間革命』を起稿した和室。この一室があった旧・沖縄本部の地には現在、沖縄国際平和会館が立つ

崩れざる平和と幸福を築くには、人間主義と生命尊厳を人類の根本規範として打ち立てる以外にない――この人間革命の哲学を、池田先生は、戸田城聖先生の思想と生涯、弟子・山本伸一の苦闘の青春、広布に生きる中で宿命転換を遂げていく同志の姿を通して、立体的に描いていった。

創価学会の会長として指揮を執りながらの執筆は、まさに命を削る言論闘争であったといえる。

ペンを握れないほど疲労困ぱいの時は、原稿をテープに吹き込み、時には香峯子夫人が口述筆記した。宗門事件の嵐がすさび、行動を制約される中で、師弟の魂を小説につづり、同志を鼓舞した。

会長就任15周年の75年5月3日を記念して池田先生は、小説『人間革命』の主題「一人の人間における……」を揮毫した。

小説『人間革命』の主題を池田先生が揮毫した書。1975年5月3日を記念して

同年5月16日には、フランスのパリで、アウレリオ・ペッチェイ博士と会見。博士は、環境危機に警鐘を鳴らすリポート『成長の限界』を発表し、世界に衝撃を与えたローマクラブの創設者である。

博士はこの会見に、小説『人間革命』の英語版を持参していた。「人間性の革命」を主張してきたが、先生との語らいを通して、人間性を形成する生命そのものの変革――すなわち「人間革命」が、人類を救うには必要と考えるに至ったと言う。

池田先生はこの年、アメリカ、中国、フランス、イギリス、ソ連を訪問。各国各界の識者、指導者との対話に、同志の励ましにと、人間主義の言論で世界を結ぶ激闘を続けていた。

まさに小説の主題を自ら証明せんとする、平和への闘争が展開されていたのである。

先生は『人間革命』の後、『新・人間革命』をつづりながら、世界を駆け巡り、人間革命の哲学への共感を広げてきた。

そして今、世界の同志に呼び掛ける。“2030年までの10年は、人間革命の実証を打ち立て、人類の宿命転換を成し遂げる「勝負の時」”――と。

人間革命の主題を実現しゆく師弟旅へ、出発の時である。
小説『人間革命』の起稿の日を記念した