第22回 人間教育の最高学府 2020年11月16日 |
創価大学の設立構想から70年 1950年(昭和25年)の11月16日、戸田城聖先生は池田大作先生に、創価大学の設立構想を語った。以来、きょうで70年。池田先生が創立した創価大学は、隆々たる発展を遂げ、明年、開学50周年の節を刻む。ここでは、「師弟凱歌の記憶」として70年前の“師弟の語らい”などを振り返る。 ![]() 1950年11月16日、山本伸一に創価大学の設立構想を語る戸田城聖先生(小説『新・人間革命』の挿絵から。 その日は寒さが身に染みる晩秋の一日だった。戸田先生は、東京・西神田の会社近くにあった日本大学の食堂で、池田先生に語った。「大学をつくろうな。創価大学だ」 この時、師と弟子は最大の苦境にあった。深刻な不況で事業の営業停止を余儀なくされた戸田先生は、学会に迷惑をかけまいと、既に理事長職を辞していた。師のもとで働いていた池田先生は、一人、難局を打開するため東奔西走する秋霜烈日の日々を送っていた。 そんな中でも戸田先生の眼は、遠大な未来を見据えていた。 「人類の未来のために、必ず創価大学をつくらねばならない。しかし、私の健在なうちにできればいいが、だめかもしれない。伸一、その時は頼むよ。世界第一の大学にしようじゃないか!」(小説『新・人間革命』第15巻「創価大学」の章) 創価教育学を実践する学校の設立は、先師・牧口常三郎先生の悲願でもあった。「将来、私が研究している創価教育学の学校を必ず僕が、僕の代に設立できないときは、戸田君の代で作るのだ」 創価の師弟の夢である大学の設立は、22歳の若き青年に託されたのである。 ![]() ![]() ![]() 創価大学の基本理念として、池田先生が記したモットー。上から「人間教育の最高学府たれ」「新しき大文化建設の揺籃たれ」「人類の平和を守るフォートレスたれ」 1960年に第3代会長に就任した池田先生は、大学の建設に全精魂を傾けた。 64年6月の第7回学生部総会の席上、創価大学の設立構想を正式に発表。69年5月3日、大学の基本理念として、三つのモットーを提唱する。「人間教育の最高学府たれ」「新しき大文化建設の揺籃たれ」「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」 折しも大学紛争の嵐が吹き荒れ、大学教育の在り方自体が問われていた。 池田先生は“教育の原点は、どこまでも人間をつくることにある”との信念で、新たな一石を投じる「建学の精神」を掲げたのである。 ![]() 池田先生が記した三つのモットーが刻まれた「建学の碑」。キャンパス内に立ち、創大生の成長を見守る 命を削る広宣流布の戦いの中にあって、池田先生は寸暇を惜しんで原稿を書き、著作の印税等も大学建設の資金に充てた。 71年4月2日、ついに創価大学は開学の時を迎える。 池田先生は創立者としての真情を、次のように述べている。「私は学生の味方です。徹底的に動き、徹底的に激励に走る。この五体が、たとえ動かなくなろうとも、私は学生を守るために働きます」 この思いは今も変わることがない。創大を巣立った多くの英才たちが、創立者との“父子の絆”を深く胸に刻み、日本のみならず、世界の使命の舞台で活躍している。 牧口先生、戸田先生が願い、池田先生が創立した“創価教育の城”――いかなる時代も、「建学の精神」を堅持し、それを体現しようとする若き学徒がいる限り、創価大学は永遠に発展し、人間教育の輝きを放っていくにちがいない。 ![]() 世界市民を育む創価大学のキャンパス。英才たちは人格と知性の翼を広げゆく |