第20回 新時代開いた国士10万 2020年11月05日 |
きょう誓願の「男子部の日」 きょう11月5日は、「男子部の日」。1961年の同日、全国から精鋭10万人が東京の国立競技場に結集した第10回男子部総会が淵源である。 ![]() 総会のプログラム。式次第や学会歌の歌詞などが記されている その日は、さわやかな秋晴れであった。スタンドの上には墨痕鮮やかな「勝利」の巨大な文字。10万人の勝ち鬨が大地を揺るがす。総会の模様を報じる聖教新聞には「世界広布への大宣言」の見出しが躍った。 ![]() 歴史的な男子部総会を報じる1961年11月8日付の本紙。当時は週2回刊だった 広布史に燦然と輝く男子10万結集――それは池田大作先生が戸田城聖先生に誓った「青年部の室長としての最後の仕事」(小説『新・人間革命』第5巻「勝利」の章)だった。 戸田先生は54年10月、若人への指針・国士訓(青年よ国士たれ)を発表。「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう。かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」と訴えた。戸田先生の言った「国士」とは、妙法を持ち、日本のみならず、世界の民衆の幸福と平和を担う丈夫のことである。 当時の部員数は、約1万人。多くの人は、10万の連帯を夢物語のように思ったに違いない。だが池田先生は、決然と師に誓った。「必ず十万の青年を結集いたします」 そして、身を粉にしての活動を開始。同志に「国士10万」の達成を呼び掛けるとともに、青年部の室長として拡大の指揮を執った。“10万結集”は皆の合言葉となり、広布の丈夫は、猛然と弘教に走った。 7年後、部員数は、35万人に。迎えた第10回男子部総会で、精鋭“10万結集”が成就したのである。 ![]() 誓いの10万結集を果たした第10回男子部総会。墨痕鮮やかな「勝利」の文字を背に入場する池田先生(右端、1961年11月5日、東京・国立競技場で) 先生は席上、「それぞれの立場で、全民衆の幸福のため、広宣流布のために、大仏法の正義を証明する、人生の勝利者になっていただきたい」と期待を寄せた。 広布の大舞台は、遠く彼方にあるのではない。各人が職場や地域など“今いる場所”で堂々たる信心の実証を示し、己の使命を果たしていく中に世界広布を開く道があるのだ。 『新・人間革命』「勝利」の章には、総会に臨んだ山本伸一の真情が記されている。「彼は、この青年たちとともに、二十一世紀の平和へと旅立つことを思うと、胸が高鳴るのを覚えた」と――。 創価の旗を掲げる男子幾百万のスクラムが今、世界を照らす。 学会創立90周年から100周年へ。新しき決戦の幕は開いた。 「広宣の大道」を進む「永遠の師弟旅」の出発だ。「男子部の日」は、師に広布即勝利の青春を誓う日である。 ![]() “10万結集”から21年。第31回男子部総会が開かれた1982年7月に、池田先生が男子部に贈った「広宣大道旅」の書 ![]() 総会終了後、男子部の中核の人材育成グループ「水滸会」のメンバーに贈られたバッジ。「水滸」の字とハヤブサが浮き彫りにされている。薫陶を受け切った精鋭の証し――「創価班」「牙城会」バッジの源流ともいえる |