第13回『共戦の『札幌・夏の陣』」
2020年08月18日

「札幌・夏の陣」の“本陣”となった旅館での一こま。池田先生と心を合わせた「団結」と「勢い」が歴史的な拡大の原動力となった(1955年8月)

65年前の夏、北の大地に偉大な民衆勝利の一歩が刻まれた。
1955年(昭和30年)8月、広布拡大の布石を打つべく全国45カ所に派遣隊が赴き、「夏季地方指導」が実施された。
北海道・札幌への派遣隊の中心者は、27歳の池田先生だった。

一行の札幌入りは、8月16日のこと。先生は出迎えた同志に語った。「戦いは勝ったよ!」
力強い宣言には確かな根拠があった。わずか10日間の短期決戦。先生は入念な準備を重ねていた。

1955年8月20日付で、池田先生が札幌の各地のリーダーに送った電報。カタカナで「最後の戦闘に入る 悔いなき闘争を祈るのみ 池田」と

派遣の1カ月以上前から、札幌のリーダーに重ねて手紙を送付。手紙は回覧され、同志は勝利のためのきめ細かな布石を打ち続けた。最前線の友を徹底して激励。皆が勇気を振り絞り、下種を大きく広げた。“本陣”となる旅館に先生が着いた時には、札幌を五つの区域に分けて成果を書き込むグラフがすでに用意されていた。

戦いは、毎朝の勤行と御書講義から始まった。先生は「生死一大事血脈抄」などを拝して、地涌の使命の大きさを力説。誰もが広布開拓の喜びをかみ締め、仏法対話へと飛び出していったのである。

先生は同志の運転するスクーターの後部座席に乗り、座談会場を何カ所も回った。未舗装の道が多く、揺れる座席で“札幌の同志に勝利を”と祈り、小声で題目を唱え続けたという。

池田先生が後ろに乗ったスクーターのレプリカ。厚田戸田講堂に展示されている

同志の心が一つになった戦いの結果は如実に現れた。初日、50人が入会を希望。友の前進は加速する。20日には早くも目標の300世帯を達成。24日には、戸田先生を迎えて大会を開催。札幌が「班」から「地区」に発展することが発表され、歓喜に沸いた。

そして札幌の折伏成果は388世帯に。派遣隊が訪れた全45地域中、堂々の日本一に輝いた。約500世帯の札幌の会員数は、一気に倍増に迫る勢いだった。
その栄光の歴史は「札幌・夏の陣」の名で語り継がれる。

戦いは勝つべくして勝つ!――師弟の広布史に刻まれた“夏の陣”の闘魂は今、三代城・北海道の同志の生命に流れ通っている。