第5回 世界に広がる音楽隊
2020年05月20日

池田先生が香港の音楽隊員を激励する(1991年1月)。“創価文化の旗手”である音楽隊は、世界各地で同志の心を鼓舞する

若き日の池田先生が音楽隊の結成を提案した折、先輩幹部は、こぞって反対した。ただ戸田先生だけが「大作がやるんだったら、やりたまえ」と理解し、励ました。1954年(昭和29年)5月6日、正式に音楽隊が発足。初の出動は、その3日後となった。

メンバーは16人。楽器は方々から借り集めた。当日は屋外での演奏だったにもかかわらず、雨。それでも隊員たちは“悪条件だからこそ絶対に負けられない”と闘志を燃やし、勇気の調べを奏でた。この日、池田先生も音楽隊の演奏に合わせて、雄渾の指揮を執った。その姿を戸田先生が見守った。この5月9日が、永遠の原点たる「音楽隊の日」となったのである。

池田先生が墨痕鮮やかに揮毫し、音楽隊に贈った書

池田先生はまもなく、費用を工面して楽器を購入し、音楽隊に贈っている。その後も折あるごとに励まし、広布の“楽雄”たちを、たゆみなく育んでいった。

隊員は、心と技を徹底して磨いた。そして、学会の会合で、地域の友好の集いで、人々の心を揺り動かす妙音を響かせながら、平和と文化の大行進を続けてきた。

全ての音楽隊員が心に刻む言葉が音楽隊訓。結成10周年の64年(同39年)に、池田先生が示した不滅の指針である。先生は叫んだ。「幾千万の、地涌の菩薩の士気を鼓舞し、苦しい同志に、悩める同志に、希望を与え、勇気を与える、音楽隊の使命を、全うしていただきたい」

師の“手作り”の音楽隊は今や日本のみならず世界30カ国・地域で活躍する。各地でパレードやコンサートに出演。大会に出場し、栄冠に輝く団体も多い。

従来の練習ができない現在、隊員はオンラインで励まし合い、合奏・合唱練習を行う。さらに“あらゆる人に希望を”と、動画投稿サイトに演奏を公開した。

音楽隊訓には、こうある。「新しき時代、新しき民衆は、必ずや新しき音楽を、新しき人を待望していることは、必然である」。前進の息吹を生み出す楽雄がいる限り、師弟の凱歌は轟き続ける。

池田先生が初代音楽隊長に贈った指揮棒


手元には「廣布の指揮を共に」との先生の文字が力強く